2006年03月05日

ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦イベント「モスタルの戦い」

 ※この記事は2012年9月19日にサルベージした記事です。※

 という訳でまたサルベージ記事です。

 2006年3月5日に行われたボスニア・ヘルツェゴビナ内戦ヒストリカルゲーム「モスタルの戦い」のレポートです。(古っ!)
 この頃割とボスニア紛争だとかコソボ紛争だとかの近代ユーゴスラビア紛争のイベントは多く行われていましたね。
 確か一連のシリーズの第三弾だった気がします。

7つの国境
(イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニア)

6つの共和国
(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)

5つの民族
(スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)

4つの言語
(スロベニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語)

3つの宗教
(カトリック、正教、イスラム教)

2つの文字
(ラテン文字、キリル文字)

1つの国
(ユーゴスラビア)

 ユーゴの複雑な国状を表したものですが、そりゃあ内戦の一つもおこりますよね・・・。

 という訳で以下大体当時の日記の原文のままです。


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 2006年3月5日は千葉県佐原の「Area 51」にて行われたボスニア・ヘルツェゴビナ 内戦ヒストリカルゲーム「モスタルの戦い」に行ってきました。

 ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦イベント「モスタルの戦い」
 当日の私
 クロアチア軍でエントリーしました。

ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦イベント「モスタルの戦い」
 参加者の集合写真

ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦イベント「モスタルの戦い」
 クロアチアユニット

ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦イベント「モスタルの戦い」
 捕虜には過酷な運命が・・・ 

ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦イベント「モスタルの戦い」
 文民と見せかけたCIA工作員を射殺

 件の事情により、エントリーもせず、勝手に推参しましたが、快く遊んでくれたスタッフを始め、皆々様に感謝です。
 今回で3回目の開催、3度目の参加ですが、今回も前回、前々回同様クロアチア軍で参加してきました。

 「Area 51」の利点は、私の家から向かう場合、行程の殆どが車幅の広い高速道路で、渋滞に巻き込まれる確率が低く、最寄りインターチェンジを下りてからの距離が近い為、実質距離は兎も角として、時間的距離は短いという点です。

 会場につくと、凄い人の数。
 正確な人数は解りませんが100人位かそれ以上でしょうか。

 私は「Area 51」は初めてではないのですが、まずは参加者全員でフィールド内を巡回です。
 「境界線だ、こっちがクロアチア」
 「あっちがセルビア」
 「向こうがモスレムで」
 「あれは国連軍だ」
 ・
 ・
 ・
 「協力を感謝する、ドルと円、トラベラーズ・チェックどれがいい」 
 「ミスターサトー、ドルがいい」
 「ほら!」BARN!

 以前のイベントでは凄い嵩の積雪で、一面銀世界でしたが、今回は雪など積もってはいなくて、普通のフィールドでした。

 ゲームは相変わらず、ゴーグルを掛けるだとかバイオBB弾を使用するだとか、安全やマナーに関する決まり以外は殆どルール無用のゲーム展開で、参加者の意図で、シチュエーションも流動的に推移していきました。

 前回と大きく違う点は、モスリムユニットが増えた事で、勢力が三つ巴から四つ巴と悪化した事。
 勢力毎に使用する弾薬の数に制限が付いた為、一人当たりの携帯数が大幅に制限された事など。

 一番最初のゲームでは、モスリムとクロアチアは同盟関係というシチュエーションでスタートしたものの、同盟者である筈のムスリムにも不用意に背中をさらせない。
 何しろルール無用、コイツ等は何か企んでそうで油断ならないという疑心暗鬼がもたらす緊張感にゾクゾク来ます。
 案の定、至近距離に誤射を受けた事で、多少の小競り合いになったりして面白いです。

 弾薬数の制限も、面白い要素でした。
 クロアチアの場合、人数が多かった為、一人当たりの弾薬支給がフィルムケースに1杯か多くて2杯となりました。
 更にその少ない中から、皆々少しづつ機関銃のガナーに託すので、実際の銃器の装弾数よりちょっと多目程度の携帯弾数となってしまいます。
 故に皆々、専らセミオートで闘って、緊急事態の際だけフルオートを使用していました。
 電動ガンなど、連射しても銃身が溶けたりする訳でもなく、実質、超小型ポータブル機関銃でしかない訳で、弾数制限が無いと、往々にしてホワイトベースの様に弾幕の張り合いとなってしまいがちです。
 如何に敵をうち倒したり、フラッグを取るかといった事象を競う「競技」であるサバイバルゲームでしたら、それでも良いやもしれませんが、ヒストリカルゲーム(リエナクメント)ではそうした価値観を尊ぶものでありません。
 むしろ、銃器は実際の銃器の性能に想いを馳せながら射撃すべきです。
 そうした観点から言いますと、今回の弾数制限というのは、2000年のアホカリを彷彿させる大変有用な要素でした。

 交錯する四派の思惑、秘密交渉による陰謀と裏切り、至る所で行われた残虐行為etc、etc・・・。
 普通の人なら人間不信とか、鬱とか、心の病を患いそうな悪逆非道な行為のオンパレードなイベントでしたが、かなり面白いイベントでした。
 次回も是非参加させて頂きたいです。
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