2012年09月16日

東京マルイ製VSR10Gスペックのストックを塗装してみました。

 またしても塗装ネタです。(笑)
 
 という訳で東京マルイのVSR10Gスペックのストックを塗装してみました。


 VSR10Gスペックは私にしては珍しく、純然たるサバイバルゲーム専用の為の銃です。
 何処かの軍隊の軍装の一環としてでもなく、形がカッコイイからでもなく、好きなアニメキャラが使っているからでもなく(笑)、単にサバゲーで狙撃がしたいというただそれだけの為に買ったエアーガンです。
 普段はSOPMOD AKで普通にサバゲーしてますが、疲れたり(VSRは軽いです。)気分によってこれを使っています。
 また、エアーコッキング式の銃が一丁ありますと、エアコキオンリー戦にも出られて何かと好都合です。

 サバイバルゲームで使いますので、一応シリンダーとかはヤフオクでカスタム品を買って取り替えてあります。
 そこいらへんを弄ったらシアーが引っかからない不具合が出たので、同じ方からシアー等の3点セットを買って組み込んだら不具合が解消しました。(解消まで結構試行錯誤してお金がかかった・・・。)
 その他、トリガープルを軽くする為にPDIのかるバネ、PDIのバレルスペーサー、更にチャンバーをVSR-10プロスナイパーの物と交換してファイヤーフライのなまずを装着して長掛ホップにしてあります。
 スプリングもレートを変えて少し強くしてありますが、もちろん法定初速を越える様な馬鹿な真似はしていません。
 ただ、割とぎりぎりなので、千葉県のフィールドで遊ぶ分には問題有りませんが、将来御殿場のサバイバルゲーム大会や山梨県(本栖湖周辺)等の高地で気圧の低い所で遊ぶ場合は少しスプリングのレートを低くしてやる必要があるかも知れません。

 これも修理の途中で分解している所、ついカッとなって(笑)塗装の練習(というか実験)としてストックだけ塗ってみる事にしました。
 元々はレミントンM700に似せてはいますが妄想銃(架空の銃)ですので、実物に近づけるという訳ではなくて、なんとなく気分で思いついた様に。(笑)
 銃全体ではなくてストックだけの塗装にとどめたのは、やはり失敗したら恐いというチキンな理由からです。
 失敗してもストックならヤフオクとかで幾らもしないで手に入りますので・・・。

 黒以外の何色かで塗ろうと思いましたが、丁度以前BHIのPx4用CQCホルスターを塗るのに使ったインディのコヨーテタンスプレーが余っていたのでそれで塗る事にしました。



 上の画像の様に園芸用の棒をストックの床尾から刺して固定して塗ってみました。
 インディのコヨーテタンは明るい色で、どちらかというと肌色っぽいですね。
 塗り終わって、単色なのも何か味気ない気がしてきたので、更にインディのダークアースとアサヒペンのカーキーを疎らに軽く噴いてグラデーションにしてみました。
 下の画像は完成後の画像です。





 もう少しグラデーションの明暗がくっきりしていた方が迷彩効果は高い気がしますが、どちらかというと迷彩効果よりも単に銃身とストックの色が違ってツートンになっていた方がオシャレとかそういう理由での塗装なので、まあこんな感じで良いかなぁ思いました。
 一度塗りだけなで、しばらく使っていくと剥げチョロ塗装になって味が出てくると思います。
 飽きてきたらまた違う色に塗ろうかなぁと思いますが、その祭は覚悟を決めて銃本体とスコープも一緒に塗ってしまおうかと思います。

 ちなみにスコープはリューポルドM3タイプのパチもんでスリングはアンクル・マイクスの実銃用革スリング、ハリスバイポッドは実物です。  

Posted by ミュラー at 16:45Comments(0)エアーガン

2012年09月15日

CAW製M79グレネードランチャーを塗装してみました。

 CAW(CRAFT APPLE WORKS)のM79グレネードランチャーを塗装してみました。

 このM79は中古で手に入れてからしばらく使っていたらカートがバレルにめり込んで取れなくなってしい、その後使う機会もなさそうなので長らく放置しておりました。
 今ですとKing Armsから良いのが出ていますので、素直にKing Armsに買い換えても良いのですが、まあある物は最期まで使うのが良いかなぁと思い、此度漸く修理してみました。

 修理してみれば何とはない、単にバレルのモスカートに填る部分がモスカートを素早く出し入れしている内に変に削れて捲れたアルミニウムの切りカスのせいでタイトになって抜けなくなったという単純なもので、その捲れた削りカスを除去してやるだけで簡単に直りました。
 その他、致命的な故障ではないですが、バレルロッキングラッチのスプリングが弱くなっていて、以前はバレルを勢いよく閉めるとカチっとそのラッチが閉鎖してくれたんですが動きが渋くなっいたのでスプリングのテンションを復活させておきました。
 銃の修理とかって、実は大した時間が掛からなくても、テンションが上がってこないとなかなか着手しないんですよね。

 で、修理し終わった後、なんかCAWのM79のバレルっていかにもプラスチックって感じですし、パーティングラインは目立つは変な円形のくぼみはあるはでいけてない事がふと気になりました。
 「わたし、気になります。」
 もう脳内で千反田さんが顔を近づけてこっち見てます。(妄想)
 なのでちょっくら改善してみる事にしました。


 銃身の整形

 まず銃身の脇にあった円形のへこみやパーティングライン等をなんとかします。
 溝にWAVE の黒い瞬間接着剤を流し込み耐水ペーパーで処理します。
 耐水ペーパーは番号が小さいほどペーパーの目が粗く、大きいほど目が細かくなります。
 はみ出したパテや目立つパーティングラインの出っ張りは500番位で削り取り、1000番位で仕上げをすると良いでしょう。
 最期に塗装の乗りを良くする為に銃身全体にうっすらと傷つけておきます。


 下地の渋銀塗装
 続いて、中性洗剤等で汚れや表面の油を良く落とし、G・スミス・Sの渋銀を噴きます。
 偶々家に渋銀が余っていたからで、これは何でも良いとも思いますが、相性の悪い塗料だと上に塗る色と混じり合って変な色になっちゃうみたいです。
 24時間で乾燥する様ですが、完全に硬化させるには数日乾かした方が良いみたいです。


 ブラックパーカー塗装
 上の画像はブラックパーカーを噴いて一晩乾かしている所です。
 この後更にメタルパーカーを噴きました。

 数日おいて渋銀が完全に乾いたら、今度はインディのブラックパーカーを噴いて銀色を隠し、更にそれが乾いた後にメタルパーカーを噴きました。
 下地に渋銀を噴いたので、サバゲー等で使い込んで塗装が剥げてくると下地の渋銀が現れて金属っぽい感じになります。
 最期に乾いた布やティッシュ等で磨き上げるとメタルパーカーが金属光沢を帯びてきます。
 磨き上げる時はやり過ぎて塗装が剥げない様に加減して磨きます。
 
 と、まあ、銃身だけででいいかなーと思ったんですが、ふと見るとその他の金属部品の方やバレルを覗いた際にインナーバレルがアルミ剥き出しで目立つ事も気になって来ました。
 「わたし、気になります。」
 また脳内の千反田さんが顔を近づけてきます。(←きません。)
 なので金属パーツも塗装することにしました。


 金属パーツ塗装前
 バレルの中側とかモスカートに填る部分だとかの塗らない部分はテープは文房具屋で売っている丸いシールでマスキングします。
 数回に分けて塗装したので画像に写っているのは全てのパーツではありません。


 金属パーツ塗装後

 金属パーツは面倒でも分解してから塗らないと後で塗り残しだとか酷い事になります。
 塗料はキャロムショットのブラックスチールで塗ってみました。
 パーツを分解して何回かに分けて塗っていましたけど、途中でブラックスチールが切れた(っていうか、8年位前に黒穴であまりに安いので買い貯めしていたデットストック数本あったのですが、あまりにも時間立経ちすぎて中身が固まって全部使えませんでした・・・。orz)のでファインケミカルジャパンのスプレーブラッセンで塗りました。
 この2つのスプレーは非常に色合いが似ていますが、若干スプレーブラッセンの方がグレーっぽい感じになります。(良く見ないと差異には気づきません。)
 その他、銃床の床尾(本来この部分はゴムだかCAWのは何故かプラスチック)もアサヒペンのクリエイティブカラースプレーマットブラックで塗っておきました。


 左から


 右から


 銃口

 で、組み立てて完成です。
 銃身の材質はプラスチックですが、インディのメタルパーカーは磨くと金属光沢が出てきて凄く良い仕上がりになりますね。
 銃口もインナーバレルのパーツを塗装したおかげで覗いても銀色のパーツが目立たなくなりました。
 
 M79は元々ベトナム戦争におけるオーストラリア軍の軍装品として手に入れました。
 北ベトナム軍や解放戦線でも鹵獲兵器として使えます。
 リエナクメント(ヒストリカルゲーム)で使う銃は大体染めたり塗ったりしていますが、これだけは外見が箱だし状態でなんとかしたかったのですが、まずまずの外見になって満足です。
 まだちょっとこのままだと使用感が無いので、傷付けたり削ったり時代漬けを施して使用感を出していこうと思います。
 できるだけサバイバルゲーム等に使って自然な感じで傷を付けていきたいですが、今後何等かのリエナクメントイベントで使うのに間に合わない様ならヤスリ等で傷つけようかと思います。
 あと、ストックも仏具みたいな色のままなので、ここも傷付けたり汚した方が良いいですね。

 という訳で、割とカッチョ良くなって満足です。  

Posted by ミュラー at 17:01Comments(1)エアーガン

2012年09月14日

歩兵突撃章

 すみません。
 この日記はほぼ同じ内容の物を9月12日に投稿したのですが、操作ミスで削除してしまったので再度投稿します・・・。orz
 ミリブロ、操作に慣れてないんですよ・・・。
 以下、以前投稿したのと大体同じ内容です。



 ミリブロの他の方のブログを拝見させて頂きますと、コレクションの画像など載せられているのが多い様ですね。
 ブログのネタも無いのでそういう画像とか載せてみるのもいいかなぁと思いますが、新たに撮影したりするのもめどいんで過去にmixiのコミュニティとかに投稿した画像を発掘したのを転載してみます。
 プロパティ見ると2010‎年‎11‎月頃に投稿した画像の様ですね。
 文章の方は投稿した当時の文章を載せても意味不明なので今し方割と適当に書きました。(笑)
 何分未熟者ですので間違いとかあったらご教授頂けますと助かります。


 という訳で、ナチスドイツ軍の歩兵突撃章銀章(Infanterie Sturmabzeichen in Silber)です。
 1939年12月20日にヴァルター・フォン・ブラウヒッチュにより制定され、陸軍や武装SSの歩兵(擲弾兵)及び猟兵に授与された勲章です。
 後に警察連隊等の秩序警察の警察官にも授与される様になりました。
 広い意味で言いますと勲章ですけど、厳密にいますと徽章「Abzeichen」ですね。
 勲章は「Orden」でして、もっと厳密にいますと栄誉章「Ehrenzeichen」、顕彰「Auszeichnung」、メダル「Medaille」、記念章「Denkmünze」とかまあ色々とカテゴリーがあるんですが、まあそこいらへんは解説がめどいので置いておきましょう。
 最前線で小火器で突撃に参加すると貰える勲章です。
 ■3回の突撃に参加
 ■3回の反撃に参加
 ■3回の偵察活動に参加
 ■突撃において白兵戦に参加
 ■戦線の維持に異なる3日間参加
 の条件で貰えました。

 最期の「戦線の維持に異なる3日間参加」って所なんですが、手持ちの資料(洋書、日本書共に)やWiki等のサイトで書いてあることがまちまちなんで確証がありません。
 残念ながら授与の正式な規定が書かれた一次資料を持っていませんので、規定に関しましては二次資料から引用させて頂きました。
 ご興味のある方はネットとか洋書とかに色々書いてあるので各自邦訳して下さい。
 


 正面


 裏面


 裏面の「FZS」刻印
 これは当時シュッツガルトにあった「Fritz Zimmermann」社の製造である事を表しています。




 銅章
 ちなみにこちらは銅章で、自動車化歩兵(装甲擲弾兵)の為の物です。
 こちらは何かの拍子に投稿した文章に画像でも添えてみるべと添付した画像なので裏面の画像が無い様ですね。
 確かウィーンにあった「W. Hobacher」社の製品だった気がします。(汗)
 画像撮り直して掲載しても良いんですが、勲章ボックス部屋の奥ですし、これ再利用記事なんであまり時間掛けたくないんで。(笑)

 尚、降下猟兵、ヘルマン・ゲーリング師団、空軍地上師団、高射砲兵等のドイツ空軍の地上兵科に関しては、空軍地上戦闘章(Erdkampfabzeichen der Luftwaffe – Wikipedia)という別の徽章が授与されました。(厳密に言うと授与資格は違います。)


 おお・・・、過去の画像を再利用するだけで日記が一つでっち上げれましたね。
 この調子なら過去にmixiや自分の掲示板に上げた日記から画像とか文章とかをリサイクルするだけで結構な量の日記をでっちあげれる気がします。
 何も出来事がないで日記のネタに困ったらそうして更新しているフリをしましょう。(笑)

 あ、みみっちい事言いますけど、私のブログの画像等は無断転載禁止でお願い致します。
 どうせ大した画像も無いですけど無断で転載されると割と悲しいです。  

Posted by ミュラー at 19:15Comments(0)ナチスドイツ軍

2012年09月08日

アホカリプスVN リユニオン2012

 この記事は2012年8月3日にmixiの方に書いた日記をサルベージして転載した物です。
 もう9月なんで1ヶ月以上も前の話ですけど、折角なんで転載しておきます。
------------------------------------------------


 7月28日(土)~29日(日)はサムズミリタリ屋さん主催で本栖ハイランドにて行われた「アホカリプスVN リユニオン2012」に征って来ました。
 ナム戦というと私は大体オーストラリア軍で征っていましたが、今回は(も)オーストラリア軍が誰一人として来ない様ですし、降下猟友会の身内衆も北ベトナム軍で征くというので一緒に北ベトナム軍で参加する事にしました。
 一人だけオーストラリア軍の恰好するよりも、皆と同じ北ベトナム軍で合わせた方が楽しいですしね。


 出発前、丁度オリンピックの開会式だったので、それを大体観終わった9時位に自宅を出発しました。
 本栖まではいつも大体二時間ちょいで着くので、途中で買い出しに寄っても正午までに着く・・・ハズでしたが・・・。
 渋滞、渋滞、大渋滞ですげー事に。orz
 東京から談合坂まで一切途切れることの無い大渋滞。
 なんか、皆が皆オリンピックの開会式観終わった後に出発したんじゃないかと思うくらいの大渋滞です。
 途中、河口湖IC下りてショッピングモールBELLでお肉だとか食料を買い出ししてから更に国道139号線で本栖に向かいましたがそこも渋滞・・・。
 おかげで本栖ハイランドに着いたのは3時20分頃。
 合計5時間45分も運転するハメに・・・。(死にそう)
 今まで20年本栖で遊んでいますが、最高に時間が掛かりましたわ。(復路で8時間ってのがありましたが、往路では過去最長)
 もう腰痛くなるわ、汗で背中びちょびちょだは、着いた途端にくたくたになりました。

 

 1日目の私
 1日目は戦闘はしないので一応帽章や階級章は付けて過ごしました。
 他の軍隊に比べるとラフな感じですね。


 1日目、午後3時53分頃の会場本部付近
 あまり人が居なくてちょっと寂しい感じでした。

 今回は約250名の参加者だったそうで、会場着いてもあまり人が居なくて少々さみしい感じでした。(会場が広い事による錯覚もあります。)
 2002年は700人来ていたので、それに比べると大分規模が小さくなりましたね。
 今回は降下猟友会のお身内衆5人でキャンプとなりましたが、私が到着したのが一番遅かったです。
 本当は正午頃着ける予定だったんですけどね・・・トホホ・・・。
 とりあえず、宿営地をセッティングしましたが、思いがけずリエナクメント関係でお世話になっている方々のお隣になりました。
 タープ張って、一応大したものはありませんでしたが出店でしたのでお店の準備してと、小一時間くらいで準備完了となりました。
 4、5人で準備すると割と楽ですね。
 なんか良く判りませんが、一応プチ生活展示みたいな事もしてみました。
 ゴザ引いて物ならべただけで、雨降ってきたのですぐ畳みましたが・・・。


 焼き肉
 本当は越南料理とかだと高得点なんですけど、まだそういう水準には至ってないですね。

 夜は焼き肉パーティーをしました。
 やっぱこういう所の醍醐味は、戦闘とかより気の合う仲間とキャンプで飲み食いしながらわいわい歓談する事だと思います。
 思いがけずお隣のテントがリエナクメント等でお世話になっている方々だったので、ベトナム料理とか色々と差し入れ頂いちゃったりしてありがたい限りです。

 発電機持ってきてたので、灯りに不自由しませんでしたが、うちのテントが端っこだったので、蛾やら蚊やらの虫くん達がうちのテントに集中してウザかったです。
 最期は灯りの1つをテントから離れた所に設置して、そこに蛾とかをおびき寄せ、電球の直近で蚊取り線香焚いてたら虫くん達がぼこぼこ落っこちて凄い光景になっていました。(恐)
 次回は殺虫灯持ってこないとだめだと思いました。
 
 1日目は途中で雨が降りましたけど、大雨という程ではないので割と過ごしやすかったです。
 例年に比べると、知り合いの参加も少なかったのでテントへの挨拶周りもお隣さんくらいですし、クラブサイゴンは満員で入れないわで割と暇でした。

 
 2日目の私
 得物はM22(56式の輸出タイプ)です。
 戦闘中は徽章類は一切付けません。


 参加者の集合写真
 2日目の撮影で向かって右側がNVAや解放戦線ですが米軍と比べて戦力比が・・・。

 2日目は北ベトナム軍ユニットで戦闘して遊びました。
 お身内衆は4人が北ベトナム軍で約1名が裏切り者(米軍)でした。(笑)
 4人だと中途半端なんで、他の皆様のユニットに編入されちゃいましたけど、今度はもっと多人数で参加して自前で分隊とか編成したいですね。
 軍装の方も普段ナチスな人ばかりなんで北ベトナム軍は発展途上ですが、良い方向に進める気概はあるのでいずれは突き詰めて行きたいです。
 共産軍は割と多く歩かされたので疲れましたけど面白かったです。

 
 戦闘開始前に我々の前を通り過ぎた軍用車両
 共産軍は載せて貰えませんでした。orz

 戦闘終了後、火薬の爆破にあわせた寸劇に参加しました。
 なかなかタイミング良く白兵戦したり倒れるのは難しいですね。
 その様子を撮影していましたが上手く撮れていますかね?

 その後、閉会式をして解散となりました。
 帰宅の為に後片付けをしてると、愛用のスントの時計が行方不明になっている事に気がつきましたが、どうしてもありません。
 荷物に紛れ込んだか、会場内で落としたか、この時点では見当も付きませんでした。

 その後、お身内衆で会場近くの「富士眺望の湯ゆらり」で一風呂浴びて帰りました。
 ここに来るのは数年ぶりだったのですが、夜中に来た事しかなかったのでもっと広い施設だったと錯覚していましたが、昼間に来るとそんなに大きな施設ではない感じですね。

 途中、あまりに眠いので談合坂で寝て帰ったら家に着いたのが夜中の12時になりました。
 疲れてたので即座に寝ようと思いましたが、無くしたスントの時計が気になって、荷物の心当たりの所を総点検しだしました。
 ふと閃いて寝袋を点検したら、ぽろりと時計が出てきました。
 そういえば、寝袋を敷き布団代わりにしていたのですが、時計をポケットに入れたまま(スントの時計はベトナム戦争時代ではOパーツなので腕にはめて露見させるのはマナー違反です。)寝ていたらごつごつ当たって痛かったんでポケットから取り出して脇に置いておいたのを気がつかずに寝袋畳んだら巻き込んだままにしていたみたいです。
 あぶないですね。
 気がつかなかったら次の野外イベントまで発見できないところでした。

 という訳で、時計も発見できて割と良い感じなアホカリでした。
 本職(職業じゃないYO!)じゃない北ベトナム軍でしたけど、こういう風に集まれる機会を逃さずにどんどん遊びたいですね。  

Posted by ミュラー at 10:06Comments(0)ベトナム戦争イベント

2012年09月06日

第66回ザ・ビクトリーショー

 9月2日(日)は都立産業貿易センター浜松町館にて行われた「第66回ザ・ビクトリーショー」に「降下猟友会」のディーラー名で参加してきました。

 直前まで南アフリカ軍のコスプレでもするかねーとか考えていましたけど、なんか暑いっていうか、心も折れたのでコスプレもしない事に・・・。
 こういうハレの日なんだから何かの恰好でもすればいいんですけどね・・・。

 イベントは相変わらずすごい人口密度でもう何が何だか。
 今回も殆ど出回れませんでした。
 何も買わないのでお金減らなくていいですけど、会う事も挨拶する事も出来ない人が何人もいらっしゃって申し訳ございませんです。
 次回以降改善される様ですが、Vショーは人と会うのは難しくなっちゃっていますね。

 閉会後は私だけ車で自宅に帰宅して、また浜松町に行ってリエナクメント関係の若い人達と飲んで帰りました。

 今回はコスプレしてないので画像は無しです。  

Posted by ミュラー at 19:08Comments(2)ミリタリー即売会・展示会