2017年06月07日
第2.1回「ボスニア199X」

ここん所割と忙しいので日記が書けていません。
6月ですが今更2月の日記です。
っていうか、ベラルーシパルチザン戦の準備が忙しくなる前に画像だけUPしてたんですけど、そっちの準備が忙しくなっちゃって放置してたんですよね。
死蔵しちゃうのが勿体ないんで、簡素な日記にしてみました。
2017年2月12日(日)は、ボスニア199X主催でサバイバルゲームフィールドSAVASにて行われた「第2.1回ボスニア199X」に征ってきました。
近代ユーゴスラビア紛争をテーマとしたイベントですが、今回は本格的なヒストリカルゲームイベントではなく、フリーマーケット、装備談義などのお喋り、時々サバゲーな感じの交流会でした。

集合写真
諸事情で小さめです。

当日の私
相変わらずクロアチア防衛評議会(ヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国軍)で参加です。

開会式の様子

ゲームの様子

フラッグ

フリーマーケットの様子
レッドアフガンさん他の出店がありました。

何か面白い物を検分してる所

お昼ご飯

何故かお隣でやってるサバゲー(主催者は同じ)に混ぜてもらって交流しました。

クライネ氏のKar98Kが不調なのでフロントサイトを外したら木が詰まってました。(何故!?)

閉会式の様子
夕方まで遊んで、閉会後は近くの温泉施設で一風呂浴びて帰りました。

佐倉天然温泉澄流
こちらの温泉施設で入浴して帰りました。
って、感じで簡素なリハビリ日記でした。
あれから色々とイベント出たり山登ったりルタバガ収穫したりしてますけど、忙しくて全部は日記に出来ません。
とりあえず次は自分のイベント(ベラルーシパルチザン戦)の日記を書きたいです。
2016年11月16日
第二回「ボスニア199X」
ちょっと現在忙しいので、簡素な日記になります。(^^;)
2016年11月13日(日)は千葉県オペレーションフリーダムにて行われたボスニア紛争イベント「第二回「ボスニア199X」」に征ってきました。

去年手に入れたHVOの徽章を直前に手に入れた米軍のウッドランドBDUに縫い付けました。

これでHVでもHVOでもどちらでも出撃出来る様になりましたが、今回はHVOで参加しました。
当日は某氏と共に二人で会場入りました。
朝、おなかを下してしまって何回もPAのトイレに駆け込む事に・・・。(^^;)
9時頃に会場入りしました。
割と早い時間から皆さん集まっていましたね。
セフティエリアではフリーマーケットが行われており、私も2点ほど出品してみました。(売れませんでしたけど)
私の出品はどうでも良い物でしたが、他の方の出品は良いボスニア紛争アイテムばかりでした。

集合写真
クロアチア、ボスニア、セルビア、国連軍の各勢力に分かれて色々と遊びました。

当日の私
クロアチア軍ユニットで参加しました。
厳密に居ますとHVO(クロアチア防衛評議会:ヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国軍)です。

開会式の様子
主催のカタヤマッチさんから注意事項やルールの説明を受けました。
とりあえず、午前中にはフィールドに慣れさせる為に単純なサバゲー形式でのゲームが行われました。
何故かクロアチアとセルビアVS国連&ボスニアという異色の組み合わせという。(^^;)

クロアチア軍ロールバッグ
私が前回から唯一買い足した軍装品です。(他にV1ベストも新調しましたけど)
当日は、BB弾のボトル等のOパーツを隠すのに活用しました。
どんなヒストリカルイベントでもOパーツを隠すのはエチケットですからね。

午後のルール説明
午後はヒストリカルゲームで、もうなんでもありの殺戮の応酬でした。
そりゃあもう、
殺したり殺されたり。
騙したり騙されたり。
盗んだり盗まれたり。
裏切ったり裏切られたり。
相変わらず最低最悪のイベントでしたね!(賛辞)




各所に陣地が点在すてるんで、それをとったりとられたりです。
こういう遊びは何になるんでしょうかね?
リエナクメントちょい入り、全体的にロールプレイですね。

国連部隊を案内する現地人ガイド
カタヤマッチさん扮する現地ガイドがとてもインチキ臭くて素敵でした。(笑)

本拠地をスルプスカ共和国軍に事実上占拠されて為す術の無いクロアチアユニット
この後、国連軍調停して貰いました。(^^;)

閉会式の様子
夕方まで楽しく遊んで閉会式を行い、解散しました。
この際、自分が来年4月に開催を計画しているロシアパルチザン戦イベントの宣伝もさせて頂きました。
ありがとうございます。(^^)
閉会後は、某氏を駅まで送り、丁度近くまで来たので千葉鑑定団酒々井店に寄ろうとしましたが、改装中で休みでした。orz
その後、近くの温泉施設によって一風呂浴びて帰りました。

酒々井温泉湯楽の里
こちらの施設で一風呂浴びて帰りました。

ここ、うどんが美味しいので夕飯に肉うどん食べました。
2004年から2006年に掛けて行われた1/1の会主催の4回のボスニア内戦イベントは、最早伝説と言える程楽しいイベントでした。
その後、久しくボスニア内戦というジャンルは閉塞しており、その復活は、我々にとっての大いなる悲願でした。
昨年の第一回を経て今回の第二回開催となりましたが、今回も大変面白く遊ばせて頂きました。
これからもボスニア紛争イベントが定期的に続く事を願っています。
是非、次回も参加させて下さい。
しかし、しかし、ルリルリコンバットゲームといいボスニア199Xといい、SAN値が下がるイベントばかりですね。(笑)
悪魔のような参加者が多くて地獄だぜ!(賛辞)
2016年11月13日(日)は千葉県オペレーションフリーダムにて行われたボスニア紛争イベント「第二回「ボスニア199X」」に征ってきました。

去年手に入れたHVOの徽章を直前に手に入れた米軍のウッドランドBDUに縫い付けました。

これでHVでもHVOでもどちらでも出撃出来る様になりましたが、今回はHVOで参加しました。
当日は某氏と共に二人で会場入りました。
朝、おなかを下してしまって何回もPAのトイレに駆け込む事に・・・。(^^;)
9時頃に会場入りしました。
割と早い時間から皆さん集まっていましたね。
セフティエリアではフリーマーケットが行われており、私も2点ほど出品してみました。(売れませんでしたけど)
私の出品はどうでも良い物でしたが、他の方の出品は良いボスニア紛争アイテムばかりでした。

集合写真
クロアチア、ボスニア、セルビア、国連軍の各勢力に分かれて色々と遊びました。

当日の私
クロアチア軍ユニットで参加しました。
厳密に居ますとHVO(クロアチア防衛評議会:ヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国軍)です。

開会式の様子
主催のカタヤマッチさんから注意事項やルールの説明を受けました。
とりあえず、午前中にはフィールドに慣れさせる為に単純なサバゲー形式でのゲームが行われました。
何故かクロアチアとセルビアVS国連&ボスニアという異色の組み合わせという。(^^;)

クロアチア軍ロールバッグ
私が前回から唯一買い足した軍装品です。(他にV1ベストも新調しましたけど)
当日は、BB弾のボトル等のOパーツを隠すのに活用しました。
どんなヒストリカルイベントでもOパーツを隠すのはエチケットですからね。

午後のルール説明
午後はヒストリカルゲームで、もうなんでもありの殺戮の応酬でした。
そりゃあもう、
殺したり殺されたり。
騙したり騙されたり。
盗んだり盗まれたり。
裏切ったり裏切られたり。
相変わらず最低最悪のイベントでしたね!(賛辞)




各所に陣地が点在すてるんで、それをとったりとられたりです。
こういう遊びは何になるんでしょうかね?
リエナクメントちょい入り、全体的にロールプレイですね。

国連部隊を案内する現地人ガイド
カタヤマッチさん扮する現地ガイドがとてもインチキ臭くて素敵でした。(笑)

本拠地をスルプスカ共和国軍に事実上占拠されて為す術の無いクロアチアユニット
この後、国連軍調停して貰いました。(^^;)

閉会式の様子
夕方まで楽しく遊んで閉会式を行い、解散しました。
この際、自分が来年4月に開催を計画しているロシアパルチザン戦イベントの宣伝もさせて頂きました。
ありがとうございます。(^^)
閉会後は、某氏を駅まで送り、丁度近くまで来たので千葉鑑定団酒々井店に寄ろうとしましたが、改装中で休みでした。orz
その後、近くの温泉施設によって一風呂浴びて帰りました。

酒々井温泉湯楽の里
こちらの施設で一風呂浴びて帰りました。

ここ、うどんが美味しいので夕飯に肉うどん食べました。
2004年から2006年に掛けて行われた1/1の会主催の4回のボスニア内戦イベントは、最早伝説と言える程楽しいイベントでした。
その後、久しくボスニア内戦というジャンルは閉塞しており、その復活は、我々にとっての大いなる悲願でした。
昨年の第一回を経て今回の第二回開催となりましたが、今回も大変面白く遊ばせて頂きました。
これからもボスニア紛争イベントが定期的に続く事を願っています。
是非、次回も参加させて下さい。
しかし、しかし、ルリルリコンバットゲームといいボスニア199Xといい、SAN値が下がるイベントばかりですね。(笑)
悪魔のような参加者が多くて地獄だぜ!(賛辞)
2015年04月05日
ボスニア内戦イベント「ボスニア199Xプレイベント」
2015年3月15日(日)は、ボスニア199X主催で千葉県BBジャングルにて行われたボスニア内戦イベント「ボスニア199Xプレイベント」に参加してきました。
これは、今度の11月22(日)に特殊作戦群区にて行われるボスニア内戦イベント「ボスニア199X」の衣装合わせや世界観の共有、ルールの構築等を研究する為のプレイベントです。
参加者は20人弱で、ヒストリカルゲーム(サバイバルゲーム形式)、軍装品のフリーマーケット、ミーティング、写真撮影会等を行いました。
当日の朝、某氏に家に来て貰って2人で車で出発しました。
BBジャングルは初めて行くフィールドでしたが、いつも行く千葉市周辺よりも遠いですし、ちょっと判りにくい会場なので、道を行き過ぎちゃったり会場の駐車場が謎だったりと、会場入りに若干手こずりました。(^^;)
会場に付くと、なんかタクティコウな人が結構居たので、あれ?会場間違えたかな?とか思いましたけど、フィールドが二つあって、ボスニアイベントは奥のフィールドだったみたいです。(^^;)
ちゃんと、野暮ったい古めの装備の人達が集まっていました。

開会式
10時位から集まった人で開会式を行いました。
後からもう少しだけ来て、当日は20人弱の人が集まりました。

お弁当の注文
お弁当を注文する人は名前を書きます。
このフィールドのセフティエリア、何故か崖の上で長細く、右側は崖です。

フリーマーケット
ユーゴスラビア内戦の品揃えは国内最高峰のレッドアフガンさんの出店です。
当日は、レッドアフガンさんと降下猟友会の2店が出店しましたけど、降下猟友会は家に有った余り物を数店出品しただけです。(^^;)

クッキングナチで有名なさめひろしさんが作ってきたクロアチア料理
おすそわけして頂きました。
ありがとうございました。
とても美味しかったです。

代用コーヒー
さめさんには代用コーヒー(たんぽぽコーヒー)も頂きました。
カフェインが無いから、今の人が飲むには健康的ですが、当時のドイツ兵からは不評だったみたいです。




当日の私
クロアチア軍(HV)でエントリーしました。
本当はヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国(HVO:クロアチア防衛評議会)にしたいところですが、徽章の調達が間に合いませんでした。
11月の本番はHVOにしたいです。
参考までに当日の装備を書きます。(一部借り物)
米軍ノンリップBDU上下
クリアチア軍帽子
クロアチア軍ズボンベルト
革製装備ベルト(ユーゴスラビア軍代用のチェコかどっかの他国製の物)
クロアチア軍ベスト
クロアチア軍リュック
クロアチア軍水筒ポーチ
ユーゴスラビア軍モーゼル弾用革製弾薬ポーチ
スティーブマクロ-ガン製ジャックブーツ
LCT製M70AB2
ユーゴスラビア軍ヘルメット(画像に写っていません。)

スティーブマクロ-ガン製ジャックブーツ
ナチスドイツ軍のですが、当時もジャックブーツは散見するのでこれを履いてみました。
ちょっと前に購入した新品を下ろしました。
初実戦投入がWWIIイベント出なくてユーゴ紛争イベントなのは謎ですけど。(笑)
東ドイツ軍や西ドイツ軍の代用をナチスドイツ軍でするのは不思議な感覚ですね。
まだ新品なので長靴(ながぐつ)っぽいですが、使い込んでいくと踝の辺りにシワが出来てきて良い感じになります。
残念ながらレプリカで鋲が軟鉄なので、イベント終わったら1本首からもげてました。(外れたんじゃなくてもげてました。)

集合写真(写真に顔出しOKな方のみ)

クロアチア人勢力

セルビア人勢力

ボスニア人勢力
今回はこの3勢力だけで集まりましたが、11月の本番では、
①ボスニア人勢力:ボスニア政府軍・民兵・傭兵・義勇兵
②クロアチア人勢力:クロアチア防衛評議会民兵・傭兵・義勇兵(クロアチア共和国軍含む)
③セルビア人勢力:スルプスカ共和国軍・民兵・傭兵・義勇兵
④国連防護軍:ベルギー・カナダ・イタリア・デンマーク・チェコ・フランス・オランダ・パキスタン・ポーランド・トルコ・イギリス(文民国連職員含む)
⑤その他:民間人・ジャーナリストなど
を募集するそうです。
とりあえず、実際にどんな感じか戦闘をしてみる事にしました。
サバイバルゲーム形式ではありますが、純然たるサバイバルゲームではなくてヒストリカルゲームですので、相手に罵声を浴びせるのも可能ですし、死んだ際には「ヒットー!」等と野暮ったい事を言わず、死んだふりをします。
今回は放水活動と揶揄されるフルオートばら撒き戦を避ける為、弾数制限200発でセミオートオンリーというルールにしました。
また、内戦当時もそうでしたが、各勢力共に誤射を避ける為に識別布を体に付ける事にしました。
ユーゴスラビア内戦では各勢力共に独自装備の他、各国軍隊の払い下げ品を使っており、下手すると彼我共に同じ装備という場合もありました。
一応、各勢力ともパッチを付けていますが、それだけだと判りにくく誤射する可能性がありましたので、当時から様々な色の識別布を体に身に付けて誤射を避けていました。
ナチスドイツ軍の防寒着でも同じ事してますね。
ちなみに、セルビア赤でクロアチア水色でボスニアは緑でした。

戦闘中のスルプスカ兵

休息するスルプスカ兵

建物の2階を占拠するクロアチア勢力
ヒストリカルゲームの合間に、軍装の衣装合わせをしたり各種資料や当時の操典から所作を勉強したり、本番へ向けてのルール作りや問題点の指摘等のミーティングを行いました。

軍装に関して議論
軍装に関して意見交換、議論をしてより正確な再現を心がける事はリエナクターとしてはとても大切な事です。
ボスニア199Xの軍装レギュレーションは緩やかですが、奥手にならず、話しを聞けるときには良く聞き、装備を見れる時には良く見て、得れる知識はどんどん得ていくのが良いと思います。

各種資料や操典を読み漁る
ゲームそっちのけでレッドアフガンさん所蔵の良い資料、操典を読み漁っています。
貴重な資料、操典を惜しみなく閲覧させて頂いたレッドアフガンさんには大感謝です。(^^)


全体ミーティング
参加者全員で、ボスニア内戦に関して世界観の共有をしたり、戦闘してみての問題点を指摘し合ったり、11月の本番のルールに関して議論しました。
2004年から2006年に掛けて4回のボスニア内戦イベントを手がけた主催者さん、企画者さんをはじめ多くのユーゴ内戦好きが集まった事もあって、非常に活溌で有用な議論がなされました。
余談ですけど、ミーティングに使用したこのセフティエリア、崖の上に網を貼って作ってあるのですが、下見ると恐い上に、網なので細かい物を落とすと崖下まで落ちていってまず見つからないといです・・・。
ミーティングの後にも何度かゲームをして最後には弾倉からBB弾を抜いて模擬戦闘の様な事をしながら写真撮影を行いました。




警戒しながら進むクロアチア兵


射撃するクロアチア兵







突撃するクロアチア人勢力





敵勢力の立て籠もる家屋に突入するセルビア人勢力












セルビア人勢力による対戦車戦闘




ボスニア兵を捕虜にするクロアチア勢力

殺害戦果と鹵獲品
という様な感じで色々と写真撮影して楽しみました。
全部は紹介できないのですが、皆さんノリノリで撮されていましたね。(^^)
時間が来たので閉会し、小一時間くらいフィールドの駐車場で駄弁ってから解散しました。
閉会後は温泉施設に行って一風呂浴びてから帰りました。

石と光の楽園 みきの湯
初めて行きましたけど、なかなか良い温泉施設ですね。
帰路は高速で道間違えて変な所で下りちゃってちょっと時間をロスしました。(^^;)
このプレイベントはとても楽しくて有用なイベントでした。
ゲーム自体も凄く楽しかったですし、沢山の軍装品や資料を見せて貰ったり、一種のワークショップみたいな感じで色々と教えて頂いて何かと向上させて頂きました。
めきめきとクロアチア力が上がったのを感じます。
本番が楽しみで楽しみで待ちきれない思いで一杯になりました。
早く11月にならないかなぁと思います。
というか、本番までにまた「プレイベント」を開催して欲しいです。(^^;)
2004年から2006年に掛けて行われた1/1の会主催の4回のボスニア内戦イベントは、最早伝説と言える程楽しいイベントでした。
その後、久しくボスニア内戦というジャンルは閉塞しており、その復活は、我々にとっての大いなる悲願でした。
此度、9年の時を経て栄光の復活を成した事を大変嬉しく思います・・・って言える様に、11月の本番も頑張って行きましょう!
最後に宣伝を。

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争ヒストリカルゲーム「ボスニア199X」は2015年11月22(日)に茨城県稲敷市特殊作戦群区にて開催です。
皆様お誘い合わせの上是非ご参加下さい。
公式な発表はこちらのサイトで行われますので是非ご注目下さい。ボスニア199X
私のTwitterでも出来る限り情報をつぶやきますのでフォローをお願い致します。@wachtmeister2
これは、今度の11月22(日)に特殊作戦群区にて行われるボスニア内戦イベント「ボスニア199X」の衣装合わせや世界観の共有、ルールの構築等を研究する為のプレイベントです。
参加者は20人弱で、ヒストリカルゲーム(サバイバルゲーム形式)、軍装品のフリーマーケット、ミーティング、写真撮影会等を行いました。
当日の朝、某氏に家に来て貰って2人で車で出発しました。
BBジャングルは初めて行くフィールドでしたが、いつも行く千葉市周辺よりも遠いですし、ちょっと判りにくい会場なので、道を行き過ぎちゃったり会場の駐車場が謎だったりと、会場入りに若干手こずりました。(^^;)
会場に付くと、なんかタクティコウな人が結構居たので、あれ?会場間違えたかな?とか思いましたけど、フィールドが二つあって、ボスニアイベントは奥のフィールドだったみたいです。(^^;)
ちゃんと、野暮ったい古めの装備の人達が集まっていました。

開会式
10時位から集まった人で開会式を行いました。
後からもう少しだけ来て、当日は20人弱の人が集まりました。

お弁当の注文
お弁当を注文する人は名前を書きます。
このフィールドのセフティエリア、何故か崖の上で長細く、右側は崖です。

フリーマーケット
ユーゴスラビア内戦の品揃えは国内最高峰のレッドアフガンさんの出店です。
当日は、レッドアフガンさんと降下猟友会の2店が出店しましたけど、降下猟友会は家に有った余り物を数店出品しただけです。(^^;)

クッキングナチで有名なさめひろしさんが作ってきたクロアチア料理
おすそわけして頂きました。
ありがとうございました。
とても美味しかったです。

代用コーヒー
さめさんには代用コーヒー(たんぽぽコーヒー)も頂きました。
カフェインが無いから、今の人が飲むには健康的ですが、当時のドイツ兵からは不評だったみたいです。




当日の私
クロアチア軍(HV)でエントリーしました。
本当はヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国(HVO:クロアチア防衛評議会)にしたいところですが、徽章の調達が間に合いませんでした。
11月の本番はHVOにしたいです。
参考までに当日の装備を書きます。(一部借り物)
米軍ノンリップBDU上下
クリアチア軍帽子
クロアチア軍ズボンベルト
革製装備ベルト(ユーゴスラビア軍代用のチェコかどっかの他国製の物)
クロアチア軍ベスト
クロアチア軍リュック
クロアチア軍水筒ポーチ
ユーゴスラビア軍モーゼル弾用革製弾薬ポーチ
スティーブマクロ-ガン製ジャックブーツ
LCT製M70AB2
ユーゴスラビア軍ヘルメット(画像に写っていません。)

スティーブマクロ-ガン製ジャックブーツ
ナチスドイツ軍のですが、当時もジャックブーツは散見するのでこれを履いてみました。
ちょっと前に購入した新品を下ろしました。
初実戦投入がWWIIイベント出なくてユーゴ紛争イベントなのは謎ですけど。(笑)
東ドイツ軍や西ドイツ軍の代用をナチスドイツ軍でするのは不思議な感覚ですね。
まだ新品なので長靴(ながぐつ)っぽいですが、使い込んでいくと踝の辺りにシワが出来てきて良い感じになります。
残念ながらレプリカで鋲が軟鉄なので、イベント終わったら1本首からもげてました。(外れたんじゃなくてもげてました。)

集合写真(写真に顔出しOKな方のみ)

クロアチア人勢力

セルビア人勢力

ボスニア人勢力
今回はこの3勢力だけで集まりましたが、11月の本番では、
①ボスニア人勢力:ボスニア政府軍・民兵・傭兵・義勇兵
②クロアチア人勢力:クロアチア防衛評議会民兵・傭兵・義勇兵(クロアチア共和国軍含む)
③セルビア人勢力:スルプスカ共和国軍・民兵・傭兵・義勇兵
④国連防護軍:ベルギー・カナダ・イタリア・デンマーク・チェコ・フランス・オランダ・パキスタン・ポーランド・トルコ・イギリス(文民国連職員含む)
⑤その他:民間人・ジャーナリストなど
を募集するそうです。
とりあえず、実際にどんな感じか戦闘をしてみる事にしました。
サバイバルゲーム形式ではありますが、純然たるサバイバルゲームではなくてヒストリカルゲームですので、相手に罵声を浴びせるのも可能ですし、死んだ際には「ヒットー!」等と野暮ったい事を言わず、死んだふりをします。
今回は放水活動と揶揄されるフルオートばら撒き戦を避ける為、弾数制限200発でセミオートオンリーというルールにしました。
また、内戦当時もそうでしたが、各勢力共に誤射を避ける為に識別布を体に付ける事にしました。
ユーゴスラビア内戦では各勢力共に独自装備の他、各国軍隊の払い下げ品を使っており、下手すると彼我共に同じ装備という場合もありました。
一応、各勢力ともパッチを付けていますが、それだけだと判りにくく誤射する可能性がありましたので、当時から様々な色の識別布を体に身に付けて誤射を避けていました。
ナチスドイツ軍の防寒着でも同じ事してますね。
ちなみに、セルビア赤でクロアチア水色でボスニアは緑でした。

戦闘中のスルプスカ兵

休息するスルプスカ兵

建物の2階を占拠するクロアチア勢力
ヒストリカルゲームの合間に、軍装の衣装合わせをしたり各種資料や当時の操典から所作を勉強したり、本番へ向けてのルール作りや問題点の指摘等のミーティングを行いました。

軍装に関して議論
軍装に関して意見交換、議論をしてより正確な再現を心がける事はリエナクターとしてはとても大切な事です。
ボスニア199Xの軍装レギュレーションは緩やかですが、奥手にならず、話しを聞けるときには良く聞き、装備を見れる時には良く見て、得れる知識はどんどん得ていくのが良いと思います。

各種資料や操典を読み漁る
ゲームそっちのけでレッドアフガンさん所蔵の良い資料、操典を読み漁っています。
貴重な資料、操典を惜しみなく閲覧させて頂いたレッドアフガンさんには大感謝です。(^^)


全体ミーティング
参加者全員で、ボスニア内戦に関して世界観の共有をしたり、戦闘してみての問題点を指摘し合ったり、11月の本番のルールに関して議論しました。
2004年から2006年に掛けて4回のボスニア内戦イベントを手がけた主催者さん、企画者さんをはじめ多くのユーゴ内戦好きが集まった事もあって、非常に活溌で有用な議論がなされました。
余談ですけど、ミーティングに使用したこのセフティエリア、崖の上に網を貼って作ってあるのですが、下見ると恐い上に、網なので細かい物を落とすと崖下まで落ちていってまず見つからないといです・・・。
ミーティングの後にも何度かゲームをして最後には弾倉からBB弾を抜いて模擬戦闘の様な事をしながら写真撮影を行いました。




警戒しながら進むクロアチア兵


射撃するクロアチア兵







突撃するクロアチア人勢力





敵勢力の立て籠もる家屋に突入するセルビア人勢力












セルビア人勢力による対戦車戦闘




ボスニア兵を捕虜にするクロアチア勢力

殺害戦果と鹵獲品
という様な感じで色々と写真撮影して楽しみました。
全部は紹介できないのですが、皆さんノリノリで撮されていましたね。(^^)
時間が来たので閉会し、小一時間くらいフィールドの駐車場で駄弁ってから解散しました。
閉会後は温泉施設に行って一風呂浴びてから帰りました。

石と光の楽園 みきの湯
初めて行きましたけど、なかなか良い温泉施設ですね。
帰路は高速で道間違えて変な所で下りちゃってちょっと時間をロスしました。(^^;)
このプレイベントはとても楽しくて有用なイベントでした。
ゲーム自体も凄く楽しかったですし、沢山の軍装品や資料を見せて貰ったり、一種のワークショップみたいな感じで色々と教えて頂いて何かと向上させて頂きました。
めきめきとクロアチア力が上がったのを感じます。
本番が楽しみで楽しみで待ちきれない思いで一杯になりました。
早く11月にならないかなぁと思います。
というか、本番までにまた「プレイベント」を開催して欲しいです。(^^;)
2004年から2006年に掛けて行われた1/1の会主催の4回のボスニア内戦イベントは、最早伝説と言える程楽しいイベントでした。
その後、久しくボスニア内戦というジャンルは閉塞しており、その復活は、我々にとっての大いなる悲願でした。
此度、9年の時を経て栄光の復活を成した事を大変嬉しく思います・・・って言える様に、11月の本番も頑張って行きましょう!
最後に宣伝を。

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争ヒストリカルゲーム「ボスニア199X」は2015年11月22(日)に茨城県稲敷市特殊作戦群区にて開催です。
皆様お誘い合わせの上是非ご参加下さい。
公式な発表はこちらのサイトで行われますので是非ご注目下さい。ボスニア199X
私のTwitterでも出来る限り情報をつぶやきますのでフォローをお願い致します。@wachtmeister2
2015年01月29日
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争イベント「Bosnia199X」開催のお知らせ。

今年の11月22日にボスニア内戦のイベントが開催されます。
以下、公式ブログより概要です。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争ヒストリカルゲーム
「Bosnia199X」
日時:平成27年11月22日(日)
場所:特殊作戦群区(茨城県稲敷市)
詳細は公式blogで公開していきます。
http://yugowar199x.militaryblog.jp/
現在レギュレーション等調整、広報活動を行っております。
宜しくお願いしますm(__)m
以上です。
私も参画というか、謎の立場で協力してますので、是非、ユーゴ紛争の装備をお持ちの方はご参加下さい。
私はクロアチア防衛評議会かクロアチア軍で参加の予定です。
イベントの概要や装備がどんな感じかは公式ブログ等で書かれていますのでご参照下さい。
http://yugowar199x.militaryblog.jp/
ボスニア199X公式ブログ
以下、色々と雑記です。

当時のボスニアの雑誌がハンジャール師団をインスパイアしてたり・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=6zGpnXDN8K8
ナチ装備で戦争するクロアチア民兵(10:13辺り)とか居るし。(但し、これは例外中の例外で、一般的なクロアチア兵ではありません。)
ナチス兵器も割とOKです。
http://wachtmeister.militaryblog.jp/e365413.html
http://wachtmeister.militaryblog.jp/e363915.html
過去、こんなイベントが行われました。
https://www.youtube.com/watch?v=a2sjOvsoqyQ
その時の動画もありました。
理想はこんな感じで遊べたらなぁと思います。
http://www.ne.jp/asahi/mili/surva/history/both.html
さめひろさんの記事
http://blogs.yahoo.co.jp/pzkw3ausfn/24120409.html
SKSさんのブログ
http://sellinglist.auctions.yahoo.co.jp/user/redafgan
ユーゴ物はここで買うと良いですよ。
http://reddeadavtomat47.militaryblog.jp/
とても為になるセルビやんさんのブログ
http://wachtmeister.militaryblog.jp/
為にならない私のブログ(笑)
http://www2.ezbbs.net/30/wachtmeister/
過去の遺物(笑)
https://www.youtube.com/watch?v=cUbCp2WgkYw
クロアチアやるならこの曲を頭に入れておくと良いですよ。
大体こんな感じ。
あと、3月15日(日)にも千葉県BBジャングルでボスニア戦争ごっこの装備合わせ、詳細打ち合わせ、意見交換を目的としたサバゲー交流会があるそうです。
行ける人はGO!です。
タグ :近代ユーゴ紛争イベント
2006年11月12日
ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦イベント「デイトン和平合意」
※この記事は2012年9月25日にサルベージした記事です。※
本日のリサイクル日記は「ボスニア4「デイトン和平合意」」です。
また近代ユーゴスラビア紛争(ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争)イベントです。
画像は以下の6枚がありましたが、当時掲載を了承して頂いた方もあれから6年も経過していますので画像加工させて頂きました。

参加者の集合写真
イタリア軍だとか写っていないユニットも多くこれで全員ではありません。
150人くらい参加したのでは?

クロアチアユニット
今回も明るく楽しく残虐行為に勤しみました。

今回分隊行動した仲間
実は中の人全員基本ドイツ軍(笑)

クロアチアと癒着する武器商人
国際指名手配中の武器商人一味は度々偽の通行証を携え各勢力の間を行脚していた。
彼等が信奉するのは、宗教でも政治信条でも民族意識でも無く只々金だけである。

セルビアとクロアチアによる停戦合意
偽りの平和、偽りの握手。
共闘を誘い掛けるもお互いに信用してないのがミソ。

工場内の戦闘
このあたりは、遮蔽物は多いですが見通しは良いので膠着する事もしばしば。
迂闊にセルビアを攻撃しようと前に出ると、横からモスリムに狙撃されるハメに。
業務上過失致死出来そうな危険物が一杯で、なかなかにスリリングです。
こういう場所で、スペランカー並に弱い私が走ると何かに躓いてコケます。
あと、当時のイベントの様子がYouTubeにUPされています。 ここをクリック→★
以下、大体当時の日記の原文です。
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っつー事で、2006年11月12日は、埼玉県某所(殆ど群馬)で行われた「ボスニア4『デイトン和平合意』」に行って来ました。
今回も、クロアチア軍で参戦でした。
「埼玉県」という話でしたもんで、実際に場所を確認するまで近場かなぁーと思いきや、ほとんど「群馬県」で結構遠かったですね。
実際、行きに高速の降り口すっぽかして群馬に入っちゃったし。(笑)
会場周辺も目印になる物が無いのでちょっとばかし解りずらいです。
フィールドは、某廃工場を貸し切ってのインドア戦で、落ちたり巻き込まれたりすると業務上過失致死出来そうな素敵ポイントが多い絶好のロケーション。
スターリングラードごっことかしたら楽しそうです。
本部脇に机置かせてもらっえバカラチオン作戦のビラを配布させて頂きました。
この為に、明け方まで徹夜でポップとか造ったのに、車に積む込むの忘れました。
切腹しようかなぁ俺・・・。_| ̄|○
でも、ビラはそこそこ好評で降下猟兵2名増えました。(喜)
車に荷物詰めてる時に、ふとガスガンのAK74(LSかアリイ)が目に留まったもんで、持ってきてフリーマーケット的に値札付けて陳列してたら売れました。(某漫画家さんに売れた。)
ゲームは、午前中は素直に国連の査察を受けるなどして各陣営とも比較的穏便でしたけど、午後には各陣営空かさず殺戮の嵐となりました。
今回は、妖しげな武器商人も交えて5つ巴、いや、国連も各国思惑が有るので、6つ巴、7つ巴以上の複雑な展開で、常に不足する弾薬を武器商人と交渉したり脅したりして調達したり、国連を懐柔、教唆して検問を突破したりと、相変わらず出演者のノリで状況が推移していくのがミソ。
支給弾薬も少なく、近接戦闘の最中に弾切れするのもちらほらで大変スリリングです。
皆、専らセミオートで闘っていました。
戦闘は、主戦場の工場中央付近を除くと、出会い頭で発生する事が多かったのでサブマシンガンや拳銃が有利なヶ所が多かったです。
一度など、開け放たれた鉄扉から自分の顔の目の前に敵の銃口がニョキっと出てきて乱射しだしたので、慌てて扉を閉めようとしたのですが、そういう時に限って腰をぬかして閉まらなくてすげー恐かったです。(当たらなかったいいけど、あたったら血が出るぞ~)
今回も少ない弾数でちまちま闘う楽しさが味わえました。
次回あたりから、機関銃とか以外はゼンマイ式マガジン不可とかにしても良い様な感じがします。
帰りは渋滞で、眠そうで死にそうでした。
ねこにゃんダンス唱ってないと死んでました。(笑)
戦闘もネタもふんだんに楽しめて、凄く楽しい一日でした。
また次回もあれば、是非参加させて頂きたいです。
ふう、ここんところイベントが輻輳しすぎてすごい事になってる上、バカラチオン作戦の準備でてんやわんやでしたが、これで一段落です・・・。
--------------------------------------------------
以上
以下おまけです。
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Elite #138: The Yugoslav Wars (1): Slovenia & Croatia 1991-95
クロアチア軍のお勉強の為に購入した洋書です。

ボスニア紛争時のウスタシャの帽章
第二次世界大戦時の物ではありません。
クロアチアやる時に口ずさんで欲しいお歌 ここをクリック→★
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本日のリサイクル日記は「ボスニア4「デイトン和平合意」」です。
また近代ユーゴスラビア紛争(ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争)イベントです。
画像は以下の6枚がありましたが、当時掲載を了承して頂いた方もあれから6年も経過していますので画像加工させて頂きました。

参加者の集合写真
イタリア軍だとか写っていないユニットも多くこれで全員ではありません。
150人くらい参加したのでは?

クロアチアユニット
今回も明るく楽しく残虐行為に勤しみました。

今回分隊行動した仲間
実は中の人全員基本ドイツ軍(笑)

クロアチアと癒着する武器商人
国際指名手配中の武器商人一味は度々偽の通行証を携え各勢力の間を行脚していた。
彼等が信奉するのは、宗教でも政治信条でも民族意識でも無く只々金だけである。

セルビアとクロアチアによる停戦合意
偽りの平和、偽りの握手。
共闘を誘い掛けるもお互いに信用してないのがミソ。

工場内の戦闘
このあたりは、遮蔽物は多いですが見通しは良いので膠着する事もしばしば。
迂闊にセルビアを攻撃しようと前に出ると、横からモスリムに狙撃されるハメに。
業務上過失致死出来そうな危険物が一杯で、なかなかにスリリングです。
こういう場所で、スペランカー並に弱い私が走ると何かに躓いてコケます。
あと、当時のイベントの様子がYouTubeにUPされています。 ここをクリック→★
以下、大体当時の日記の原文です。
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っつー事で、2006年11月12日は、埼玉県某所(殆ど群馬)で行われた「ボスニア4『デイトン和平合意』」に行って来ました。
今回も、クロアチア軍で参戦でした。
「埼玉県」という話でしたもんで、実際に場所を確認するまで近場かなぁーと思いきや、ほとんど「群馬県」で結構遠かったですね。
実際、行きに高速の降り口すっぽかして群馬に入っちゃったし。(笑)
会場周辺も目印になる物が無いのでちょっとばかし解りずらいです。
フィールドは、某廃工場を貸し切ってのインドア戦で、落ちたり巻き込まれたりすると業務上過失致死出来そうな素敵ポイントが多い絶好のロケーション。
スターリングラードごっことかしたら楽しそうです。
本部脇に机置かせてもらっえバカラチオン作戦のビラを配布させて頂きました。
この為に、明け方まで徹夜でポップとか造ったのに、車に積む込むの忘れました。
切腹しようかなぁ俺・・・。_| ̄|○
でも、ビラはそこそこ好評で降下猟兵2名増えました。(喜)
車に荷物詰めてる時に、ふとガスガンのAK74(LSかアリイ)が目に留まったもんで、持ってきてフリーマーケット的に値札付けて陳列してたら売れました。(某漫画家さんに売れた。)
ゲームは、午前中は素直に国連の査察を受けるなどして各陣営とも比較的穏便でしたけど、午後には各陣営空かさず殺戮の嵐となりました。
今回は、妖しげな武器商人も交えて5つ巴、いや、国連も各国思惑が有るので、6つ巴、7つ巴以上の複雑な展開で、常に不足する弾薬を武器商人と交渉したり脅したりして調達したり、国連を懐柔、教唆して検問を突破したりと、相変わらず出演者のノリで状況が推移していくのがミソ。
支給弾薬も少なく、近接戦闘の最中に弾切れするのもちらほらで大変スリリングです。
皆、専らセミオートで闘っていました。
戦闘は、主戦場の工場中央付近を除くと、出会い頭で発生する事が多かったのでサブマシンガンや拳銃が有利なヶ所が多かったです。
一度など、開け放たれた鉄扉から自分の顔の目の前に敵の銃口がニョキっと出てきて乱射しだしたので、慌てて扉を閉めようとしたのですが、そういう時に限って腰をぬかして閉まらなくてすげー恐かったです。(当たらなかったいいけど、あたったら血が出るぞ~)
今回も少ない弾数でちまちま闘う楽しさが味わえました。
次回あたりから、機関銃とか以外はゼンマイ式マガジン不可とかにしても良い様な感じがします。
帰りは渋滞で、眠そうで死にそうでした。
ねこにゃんダンス唱ってないと死んでました。(笑)
戦闘もネタもふんだんに楽しめて、凄く楽しい一日でした。
また次回もあれば、是非参加させて頂きたいです。
ふう、ここんところイベントが輻輳しすぎてすごい事になってる上、バカラチオン作戦の準備でてんやわんやでしたが、これで一段落です・・・。
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以上
以下おまけです。
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Elite #138: The Yugoslav Wars (1): Slovenia & Croatia 1991-95
クロアチア軍のお勉強の為に購入した洋書です。

ボスニア紛争時のウスタシャの帽章
第二次世界大戦時の物ではありません。
クロアチアやる時に口ずさんで欲しいお歌 ここをクリック→★
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2006年03月05日
ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦イベント「モスタルの戦い」
※この記事は2012年9月19日にサルベージした記事です。※
という訳でまたサルベージ記事です。
2006年3月5日に行われたボスニア・ヘルツェゴビナ内戦ヒストリカルゲーム「モスタルの戦い」のレポートです。(古っ!)
この頃割とボスニア紛争だとかコソボ紛争だとかの近代ユーゴスラビア紛争のイベントは多く行われていましたね。
確か一連のシリーズの第三弾だった気がします。
7つの国境
(イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニア)
6つの共和国
(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)
5つの民族
(スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)
4つの言語
(スロベニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語)
3つの宗教
(カトリック、正教、イスラム教)
2つの文字
(ラテン文字、キリル文字)
1つの国
(ユーゴスラビア)
ユーゴの複雑な国状を表したものですが、そりゃあ内戦の一つもおこりますよね・・・。
という訳で以下大体当時の日記の原文のままです。
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2006年3月5日は千葉県佐原の「Area 51」にて行われたボスニア・ヘルツェゴビナ 内戦ヒストリカルゲーム「モスタルの戦い」に行ってきました。

当日の私
クロアチア軍でエントリーしました。

参加者の集合写真

クロアチアユニット

捕虜には過酷な運命が・・・

文民と見せかけたCIA工作員を射殺
件の事情により、エントリーもせず、勝手に推参しましたが、快く遊んでくれたスタッフを始め、皆々様に感謝です。
今回で3回目の開催、3度目の参加ですが、今回も前回、前々回同様クロアチア軍で参加してきました。
「Area 51」の利点は、私の家から向かう場合、行程の殆どが車幅の広い高速道路で、渋滞に巻き込まれる確率が低く、最寄りインターチェンジを下りてからの距離が近い為、実質距離は兎も角として、時間的距離は短いという点です。
会場につくと、凄い人の数。
正確な人数は解りませんが100人位かそれ以上でしょうか。
私は「Area 51」は初めてではないのですが、まずは参加者全員でフィールド内を巡回です。
「境界線だ、こっちがクロアチア」
「あっちがセルビア」
「向こうがモスレムで」
「あれは国連軍だ」
・
・
・
「協力を感謝する、ドルと円、トラベラーズ・チェックどれがいい」
「ミスターサトー、ドルがいい」
「ほら!」BARN!
以前のイベントでは凄い嵩の積雪で、一面銀世界でしたが、今回は雪など積もってはいなくて、普通のフィールドでした。
ゲームは相変わらず、ゴーグルを掛けるだとかバイオBB弾を使用するだとか、安全やマナーに関する決まり以外は殆どルール無用のゲーム展開で、参加者の意図で、シチュエーションも流動的に推移していきました。
前回と大きく違う点は、モスリムユニットが増えた事で、勢力が三つ巴から四つ巴と悪化した事。
勢力毎に使用する弾薬の数に制限が付いた為、一人当たりの携帯数が大幅に制限された事など。
一番最初のゲームでは、モスリムとクロアチアは同盟関係というシチュエーションでスタートしたものの、同盟者である筈のムスリムにも不用意に背中をさらせない。
何しろルール無用、コイツ等は何か企んでそうで油断ならないという疑心暗鬼がもたらす緊張感にゾクゾク来ます。
案の定、至近距離に誤射を受けた事で、多少の小競り合いになったりして面白いです。
弾薬数の制限も、面白い要素でした。
クロアチアの場合、人数が多かった為、一人当たりの弾薬支給がフィルムケースに1杯か多くて2杯となりました。
更にその少ない中から、皆々少しづつ機関銃のガナーに託すので、実際の銃器の装弾数よりちょっと多目程度の携帯弾数となってしまいます。
故に皆々、専らセミオートで闘って、緊急事態の際だけフルオートを使用していました。
電動ガンなど、連射しても銃身が溶けたりする訳でもなく、実質、超小型ポータブル機関銃でしかない訳で、弾数制限が無いと、往々にしてホワイトベースの様に弾幕の張り合いとなってしまいがちです。
如何に敵をうち倒したり、フラッグを取るかといった事象を競う「競技」であるサバイバルゲームでしたら、それでも良いやもしれませんが、ヒストリカルゲーム(リエナクメント)ではそうした価値観を尊ぶものでありません。
むしろ、銃器は実際の銃器の性能に想いを馳せながら射撃すべきです。
そうした観点から言いますと、今回の弾数制限というのは、2000年のアホカリを彷彿させる大変有用な要素でした。
交錯する四派の思惑、秘密交渉による陰謀と裏切り、至る所で行われた残虐行為etc、etc・・・。
普通の人なら人間不信とか、鬱とか、心の病を患いそうな悪逆非道な行為のオンパレードなイベントでしたが、かなり面白いイベントでした。
次回も是非参加させて頂きたいです。
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という訳でまたサルベージ記事です。
2006年3月5日に行われたボスニア・ヘルツェゴビナ内戦ヒストリカルゲーム「モスタルの戦い」のレポートです。(古っ!)
この頃割とボスニア紛争だとかコソボ紛争だとかの近代ユーゴスラビア紛争のイベントは多く行われていましたね。
確か一連のシリーズの第三弾だった気がします。
7つの国境
(イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニア)
6つの共和国
(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)
5つの民族
(スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)
4つの言語
(スロベニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語)
3つの宗教
(カトリック、正教、イスラム教)
2つの文字
(ラテン文字、キリル文字)
1つの国
(ユーゴスラビア)
ユーゴの複雑な国状を表したものですが、そりゃあ内戦の一つもおこりますよね・・・。
という訳で以下大体当時の日記の原文のままです。
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2006年3月5日は千葉県佐原の「Area 51」にて行われたボスニア・ヘルツェゴビナ 内戦ヒストリカルゲーム「モスタルの戦い」に行ってきました。

当日の私
クロアチア軍でエントリーしました。

参加者の集合写真

クロアチアユニット

捕虜には過酷な運命が・・・

文民と見せかけたCIA工作員を射殺
件の事情により、エントリーもせず、勝手に推参しましたが、快く遊んでくれたスタッフを始め、皆々様に感謝です。
今回で3回目の開催、3度目の参加ですが、今回も前回、前々回同様クロアチア軍で参加してきました。
「Area 51」の利点は、私の家から向かう場合、行程の殆どが車幅の広い高速道路で、渋滞に巻き込まれる確率が低く、最寄りインターチェンジを下りてからの距離が近い為、実質距離は兎も角として、時間的距離は短いという点です。
会場につくと、凄い人の数。
正確な人数は解りませんが100人位かそれ以上でしょうか。
私は「Area 51」は初めてではないのですが、まずは参加者全員でフィールド内を巡回です。
「境界線だ、こっちがクロアチア」
「あっちがセルビア」
「向こうがモスレムで」
「あれは国連軍だ」
・
・
・
「協力を感謝する、ドルと円、トラベラーズ・チェックどれがいい」
「ミスターサトー、ドルがいい」
「ほら!」BARN!
以前のイベントでは凄い嵩の積雪で、一面銀世界でしたが、今回は雪など積もってはいなくて、普通のフィールドでした。
ゲームは相変わらず、ゴーグルを掛けるだとかバイオBB弾を使用するだとか、安全やマナーに関する決まり以外は殆どルール無用のゲーム展開で、参加者の意図で、シチュエーションも流動的に推移していきました。
前回と大きく違う点は、モスリムユニットが増えた事で、勢力が三つ巴から四つ巴と悪化した事。
勢力毎に使用する弾薬の数に制限が付いた為、一人当たりの携帯数が大幅に制限された事など。
一番最初のゲームでは、モスリムとクロアチアは同盟関係というシチュエーションでスタートしたものの、同盟者である筈のムスリムにも不用意に背中をさらせない。
何しろルール無用、コイツ等は何か企んでそうで油断ならないという疑心暗鬼がもたらす緊張感にゾクゾク来ます。
案の定、至近距離に誤射を受けた事で、多少の小競り合いになったりして面白いです。
弾薬数の制限も、面白い要素でした。
クロアチアの場合、人数が多かった為、一人当たりの弾薬支給がフィルムケースに1杯か多くて2杯となりました。
更にその少ない中から、皆々少しづつ機関銃のガナーに託すので、実際の銃器の装弾数よりちょっと多目程度の携帯弾数となってしまいます。
故に皆々、専らセミオートで闘って、緊急事態の際だけフルオートを使用していました。
電動ガンなど、連射しても銃身が溶けたりする訳でもなく、実質、超小型ポータブル機関銃でしかない訳で、弾数制限が無いと、往々にしてホワイトベースの様に弾幕の張り合いとなってしまいがちです。
如何に敵をうち倒したり、フラッグを取るかといった事象を競う「競技」であるサバイバルゲームでしたら、それでも良いやもしれませんが、ヒストリカルゲーム(リエナクメント)ではそうした価値観を尊ぶものでありません。
むしろ、銃器は実際の銃器の性能に想いを馳せながら射撃すべきです。
そうした観点から言いますと、今回の弾数制限というのは、2000年のアホカリを彷彿させる大変有用な要素でした。
交錯する四派の思惑、秘密交渉による陰謀と裏切り、至る所で行われた残虐行為etc、etc・・・。
普通の人なら人間不信とか、鬱とか、心の病を患いそうな悪逆非道な行為のオンパレードなイベントでしたが、かなり面白いイベントでした。
次回も是非参加させて頂きたいです。
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