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Posted by ミリタリーブログ at

2006年08月27日

ベトナム戦争イベント「ペガサス作戦」

 ※この記事は2012年9月21日にサルベージした記事です。※

 またサルベージでリサイクルな日記です。
 2006年8月26日~27日に千葉県佐原のエリア51で行われたナム戦イベント「ペガサス作戦」の日記です。
 当時はこの様にアホカリやベトベトしま戦か?以外にも割と人数が集まるベトナム戦争イベントが行われていました。

 以下、大体当時の日記の原文とレスポンスで書いた文章を繋げてみました。

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 っつー事で、2006年8月26日~27日に千葉県佐原のエリア51で行われたベトナム戦争ヒストリカルゲームイベント「ペガサス作戦」に参加してきました~。

 ちなみに「平成18年3月27日、佐原市、小見川町、山田町、栗源町の1市3町が合併して、香取市が誕生しました。」との事で、いつも「佐原」と呼称していますが、ここは行政区分では「香取市」らしいです。
 
 何か、想像していたより遙かにビッグイベントでしたね。
 出店店舗あり、サムズミリタリ屋以外にもマッサージだとか散髪とかの店とか、何件かショップが入ってたし、放送ステージとかもあってにぎわっていました。
 サムズの大安売りでは、北ベトナムの手榴弾(枝が木製の良いやつ)がたったの500円と凄いお祭り価格でした。(その他もすげー激安)


 米軍側参加者の集合写真


 共産側参加者の集合写真


 一緒の分隊の皆様と共に

 ゲームに参加する人間だけで、100人以上居て、それだけでも大にぎわいなのに、ゲームしない人やら、出店の人やら、雑誌社かなにかの人やら、何処かで見た御大やら、三島軍曹(とても気さくな方で見ず知らずの私にも話しかけて頂きました。)もお見えになられてました。(何人居たんだろう?)
 アホカリの規模を、場所のキャパシティーの都合でギュっと圧縮した感じかな。

 会場着いて、テント組んで、そこそこ荷物運んだら、ちょっと一時中座して、バカラチオン作戦の会場予約の為、皆でクラフトアップルさんに行きました。
 途中、バカラチオンのピックアップ予定地「高速赤坂台」&「赤坂台」を視察しましたが、なんか置いてあった椅子が妙にエロかったです。(謎)
 佐倉駅までは、以外と遠いので、イベント運営上、ここをピックアップに加えるか、否か検討が必要と思われますね。
 
 クラフトアップルさんでは様々な疑問など質問しつつ歓談しましたが、兎角、エアーガンやサバゲー関連の知識に疎い私としては、この分野における「専門家」の助言は大変ありがたかったです。
 大いに参考にしますよ。
 店内には、自社、他社問わず、様々なトイガンが置いてありました。
 旧日本軍やってないけど(昔はちょろっとやってた)、八九式重擲弾筒かっこいいですね。


 参加者全員で塹壕拡張作業
 折角なので穴掘りリエナクメントです。


 中央部の建物
 実は立て籠もっても跳弾で酷い事になるだけで、サバゲー的には無意味ですが、リエナクメント的には有用です。

 再びエリア51に戻ると、皆さん、塹壕掘ったり、土嚢積んだりと「安本要塞」の強化に勤しんでいたので、我々も大急ぎで軍服に着替えてアナホリプスと洒落込みました。
 米軍も共産軍も分け隔て無く要塞構築。
 こうした共同作業が一体感を生んで心地よいですね。
 ただ穴掘るだけじゃ何なので、途中で同志上尉とダッコン隊員の査閲を受けるプレイとかして遊んじゃいました。
 
 塹壕掘りも終わって、手が空いた所で、本部脇にバカラチオン作戦の高札を立てました。
 意外とベトナム戦争をやりつつ第二次世界大戦もやっている人も多いらしく、そこそこ話題になりました。

 相変わらずベトナムの夜は、下品で猥りがわしいですね。
 皆々、乱痴気騒ぎです。
 このあたりはアホカリプス(ベトナム戦争版)を世襲していると言えるでしょう。
 何軒か出てたお店でフォーを食べました。
 その他、何故かメイドさんのマッサージ店だとか、様々なお店があって面白かったです。
 セーフティーゾーンや駐車場を利用したキャンプ場はそれほど広く無いので、色々人様のテントを襲撃したりして歓談してましたが、●○●とか■□■とかいう単語がやたらと多い話で盛り上がりました。(謎)
 
 と、不意に本部から呼び出しが掛かり、何かいな~とおもいきや、唐突に場内放送への出演要請が・・・。
 で、バカラチオン作戦のプロパガンダ放送を行う事になりました。

 そんなこんなで12時頃に就寝、電池でぐるぐる廻る防虫器具のお陰か、元々少なかったか、蚊による被害はほぼ無くなかなか寝やすい夜でした。

 2日目のメインゲームは、休憩を挟んだとはいえ4時間超にも及ぶ激闘で、もの凄く充実しもの凄く疲れました。
 今回、オーストラリア軍の募集がなかったので私は初めて北ベトナム軍で参加しました。
 共産軍デビューであるにも関わらず何故か第一分隊長でした。
 我々第一分隊の任務は、橋頭堡を確保したり陽動であったり搦手であったりと、ともすれば地味な物が多かったのですが、戦術的には共産軍の勝利に貢献出来たと思います。

 それにしても、全長70メートル超の塹壕を擁する「安本要塞」は、前日の拡張もあって面白すぎです。
 一日遊んだだけで泥だらけにになり、装備が大分時代漬けさました。
 「時代漬け」だけならまだしもなのですが、水筒ポーチのループと紐がブチ切れてたり(元々デリケートな上に、半分腐ってた。)、AK47のバットプレートがどっか行っちゃったりと、色々と破損したりもしました。
 あと、中国軍の水筒はキャップ閉めても水漏れしてて、大して飲まないのに、本当に飲みたい時は殆ど空だったり。(中華クオリティー)

 休憩中に、フィールド内をジープが疾駆していました。
 凄い、あんな狭い道を車両が通れるのかって感じです。

 最終戦の時間ギリギリに全軍で突撃しましたが、狭い道だったのか、余り上手くいきませんでした。

 いや~、凄く疲れましたが、凄く楽しかったです。
 次回も是非参加させて頂きますです。

 という事で、次のナム心燃焼は「ベトベトしま戦か?」ですね。
 各位、ご一緒できましたら宜しくお願い致します。


 追伸:どうでもいいですが、おまいら北ベトナム兵なんだから、「ヤボール」とか返事するなYO!
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 以上。
 以下は某所にこの日記を上げた際に書いた割と良いレスの抜粋。

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 此度は、共産軍「専門家」諸氏が多く居られて、何かと向上させて頂きました。
 「専門家」を交えての懇談では、銃の持ち方とか、AK47の叉銃、襟章はあえて付けて襟に跡を残すのがベストとか、麻紐の活用方法など、北ベトナム軍の有職故実に疎く、暗中模索な私共としては大いに助かりました。
 いろいろといじられてる内に向上して行きたいと考えています。
 私共は、そういう所は前向きで、何をいじられても憤慨したりしないので、そのスジの人はどしどしいじって下さい。(切望)
 切磋琢磨です。
 もう、どんどん吸収させて頂きますですよ。
 それにしても、北ベトナム装備は、米軍やオーストラリア軍に比べると、圧倒的に軽装で良いのですが、脆いのが難点ですね。
 ちょっと水筒カバーとか紐とかぶち切れました。
 なんで力の入る部分が平織りデスカ?

 では、また何かご一緒致しましたら宜しくおねげーします。
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Posted by ミュラー at 00:05Comments(0)ベトナム戦争イベント