2015年05月19日
べトべトしま戦か?最終戦
2015年5月16日(土)と17日(日)は、ベトベト実行委員会主催でAIR SOFT PARK GARDEN(旧エリア51)にて行われた「べトべトしま戦か?最終戦」に行ってきました。
「べトべトしま戦か?」は初心者からベテランまでが楽しめる「ライト感覚べトナム戦争ヒストリカルゲーム」イベントです。
10年の歴史があり、私も第一回から何回も参加させて頂いていましたが、今回が最終回との事です。
元々、未参加だった前回終了辺りから、次回は出ようぜという話になっていたので、今回、最終回だから参加という訳では無いのですが、10年の年月を考えると感慨深い物が有りますね。
今回も北ベトナム軍で出征してきました。
当日は、午後1時頃に出立しました。
予報が雨という事で、地元でもぽらぱらと降ったりしていましたけど、特に車への荷物の積み込みには影響しませんでした。
最近、エリア51はGARDENに変わったそうですが、しばらくエリア51には行ってなかったので、行きに高速道路の降りる場所間違って、 大栄ではなくて佐原香取まで行ってしまいました。(^^;)
おかげで、クラフトアップルさんの前を通る事になったのですが、店舗閉鎖されたのですね。
知りませんでした。
午後3時すぎに漸く会場入り出来ました。
会場付いたらまだ主催者さんが来てないという。(^^;)
する事も無いので、とりあえず適当にタープテント貼ってまったりしてました。(生活展示とかではないです。)
調理中のさめひろしさん
さめひろしさんに御飯とか作ってもらいました。
ありがたき幸せ。
日の高い内から酒飲むのは格別ですね。
やがて、日が暮れてベトベト恒例のダンスショーとなりました。
ダンスショー
ベトベト恒例のダンスショーで、皆さん大いに盛り上がっておられました。
ダンスショーが終わった後も、夜遅くまで色々な方と夜遅くまで飲みました。
戦争ごっこよりもむしろこっちがメインな気がします。
今回、最終回という事で、色々と懐かしい人と話せて良かったです。
ベトナム料理屋台 第四地区
カワイイ女の子とオカマのオバサンが相手してくれます。(笑)
夜中の2時過ぎまで飲んで駄弁りました。
深酒の上睡眠時間3時間ちょい。
おかげで次の日かなりきつかったです。
二日目の私
深酒した挙げ句、睡眠時間が少ないのでぐだぐだですね。
実は超眠かったです。(^^;)
一緒に遊んだ仲間と(諸事情で小さめです。)
今回、一緒にキャンプした3人で。
朝のルール説明を経て、北側、南側に分かれてヒストリカルゲームとなりました。
朝のミーティングのルール説明
寸劇でルールを説明してくれます。
腕立て伏せ
朝のミーティングに遅れてくるとペナルティーが科せられます。
二日目はいつもの如くヒストリカルゲームでした。
今回は北側勢力の参加者が多くて戦力比がさほど無かったので、無限復活とか、そういうのは無かったです。
珍しく、北側も南側も同じ復活ルールで遊びました。
今回は、拠点を護る南側勢力に対して北側勢力が攻撃を仕掛けるのシチュエーションが多かったです。
途中で、自分のAK47がぶっ壊れた(というか、前回壊れたのを直しきれていなかった感じです。)ので、某氏にAK47を借りたら、それも壊れていて、更に違う某氏にM16(あまり北ベトナム軍には鹵獲兵器は似合わないのですが・・・。)を借りたらそれも壊れているという3重に銃のトラブルに・・・。
更に通りすがりにすれ違った人が突然M16のスリングが外れて目の前でぶっ壊すという、何か呪いでもあるんじゃないかという位銃のトラブルが続きました。
仕方がないので、トイスターのトカレフ借りましたけど、コッキング銃じゃ、徒手よりかマシなだけで戦力になりませんでした。
自分の得物は万全じゃないとダメですね・・・。
ゲーム中の画像が無いので、面白さが伝わりにくいと思いますが、久々に多人数で遊べて面白かったです。
北ベトナム軍の靴は貧弱なので、足がかなり疲れました。
中敷き入れないとダメですね。
閉会式の様子
ゲーム終了後、ステージに集まって閉会式となりました。
ゲームの後は、閉会式で、豪華賞品が当たるジャンケン大会や写真撮影の後に解散しました。
ジャンケン大会の戦利品
試みにジャンケン大会にも参加しましたが、銃声がしてブローバックする謎の子供向け銃が当たりました。
これ、電動ガンとかに組み込んで銃声がする様に出来ないですかね?
閉会後は成田の温泉施設で一風呂浴びて仮眠して帰ったら午前様でした。(^^;)
久々のナム戦イベント、とても楽しかったです。
今回で、ベトベトしま戦か?は最終回という事ですが、機会が有ったらまた復活して欲しいですね。
10年間、主催者様、スタッフ様、出店者様、参加者様、楽しいイベントをありがとうございました。
「べトべトしま戦か?」は初心者からベテランまでが楽しめる「ライト感覚べトナム戦争ヒストリカルゲーム」イベントです。
10年の歴史があり、私も第一回から何回も参加させて頂いていましたが、今回が最終回との事です。
元々、未参加だった前回終了辺りから、次回は出ようぜという話になっていたので、今回、最終回だから参加という訳では無いのですが、10年の年月を考えると感慨深い物が有りますね。
今回も北ベトナム軍で出征してきました。
当日は、午後1時頃に出立しました。
予報が雨という事で、地元でもぽらぱらと降ったりしていましたけど、特に車への荷物の積み込みには影響しませんでした。
最近、エリア51はGARDENに変わったそうですが、しばらくエリア51には行ってなかったので、行きに高速道路の降りる場所間違って、 大栄ではなくて佐原香取まで行ってしまいました。(^^;)
おかげで、クラフトアップルさんの前を通る事になったのですが、店舗閉鎖されたのですね。
知りませんでした。
午後3時すぎに漸く会場入り出来ました。
会場付いたらまだ主催者さんが来てないという。(^^;)
する事も無いので、とりあえず適当にタープテント貼ってまったりしてました。(生活展示とかではないです。)
調理中のさめひろしさん
さめひろしさんに御飯とか作ってもらいました。
ありがたき幸せ。
日の高い内から酒飲むのは格別ですね。
やがて、日が暮れてベトベト恒例のダンスショーとなりました。
ダンスショー
ベトベト恒例のダンスショーで、皆さん大いに盛り上がっておられました。
ダンスショーが終わった後も、夜遅くまで色々な方と夜遅くまで飲みました。
戦争ごっこよりもむしろこっちがメインな気がします。
今回、最終回という事で、色々と懐かしい人と話せて良かったです。
ベトナム料理屋台 第四地区
カワイイ女の子
夜中の2時過ぎまで飲んで駄弁りました。
深酒の上睡眠時間3時間ちょい。
おかげで次の日かなりきつかったです。
二日目の私
深酒した挙げ句、睡眠時間が少ないのでぐだぐだですね。
実は超眠かったです。(^^;)
一緒に遊んだ仲間と(諸事情で小さめです。)
今回、一緒にキャンプした3人で。
朝のルール説明を経て、北側、南側に分かれてヒストリカルゲームとなりました。
朝のミーティングのルール説明
寸劇でルールを説明してくれます。
腕立て伏せ
朝のミーティングに遅れてくるとペナルティーが科せられます。
二日目はいつもの如くヒストリカルゲームでした。
今回は北側勢力の参加者が多くて戦力比がさほど無かったので、無限復活とか、そういうのは無かったです。
珍しく、北側も南側も同じ復活ルールで遊びました。
今回は、拠点を護る南側勢力に対して北側勢力が攻撃を仕掛けるのシチュエーションが多かったです。
途中で、自分のAK47がぶっ壊れた(というか、前回壊れたのを直しきれていなかった感じです。)ので、某氏にAK47を借りたら、それも壊れていて、更に違う某氏にM16(あまり北ベトナム軍には鹵獲兵器は似合わないのですが・・・。)を借りたらそれも壊れているという3重に銃のトラブルに・・・。
更に通りすがりにすれ違った人が突然M16のスリングが外れて目の前でぶっ壊すという、何か呪いでもあるんじゃないかという位銃のトラブルが続きました。
仕方がないので、トイスターのトカレフ借りましたけど、コッキング銃じゃ、徒手よりかマシなだけで戦力になりませんでした。
自分の得物は万全じゃないとダメですね・・・。
ゲーム中の画像が無いので、面白さが伝わりにくいと思いますが、久々に多人数で遊べて面白かったです。
北ベトナム軍の靴は貧弱なので、足がかなり疲れました。
中敷き入れないとダメですね。
閉会式の様子
ゲーム終了後、ステージに集まって閉会式となりました。
ゲームの後は、閉会式で、豪華賞品が当たるジャンケン大会や写真撮影の後に解散しました。
ジャンケン大会の戦利品
試みにジャンケン大会にも参加しましたが、銃声がしてブローバックする謎の子供向け銃が当たりました。
これ、電動ガンとかに組み込んで銃声がする様に出来ないですかね?
閉会後は成田の温泉施設で一風呂浴びて仮眠して帰ったら午前様でした。(^^;)
久々のナム戦イベント、とても楽しかったです。
今回で、ベトベトしま戦か?は最終回という事ですが、機会が有ったらまた復活して欲しいですね。
10年間、主催者様、スタッフ様、出店者様、参加者様、楽しいイベントをありがとうございました。
2012年09月08日
アホカリプスVN リユニオン2012
この記事は2012年8月3日にmixiの方に書いた日記をサルベージして転載した物です。
もう9月なんで1ヶ月以上も前の話ですけど、折角なんで転載しておきます。
------------------------------------------------
7月28日(土)~29日(日)はサムズミリタリ屋さん主催で本栖ハイランドにて行われた「アホカリプスVN リユニオン2012」に征って来ました。
ナム戦というと私は大体オーストラリア軍で征っていましたが、今回は(も)オーストラリア軍が誰一人として来ない様ですし、降下猟友会の身内衆も北ベトナム軍で征くというので一緒に北ベトナム軍で参加する事にしました。
一人だけオーストラリア軍の恰好するよりも、皆と同じ北ベトナム軍で合わせた方が楽しいですしね。
出発前、丁度オリンピックの開会式だったので、それを大体観終わった9時位に自宅を出発しました。
本栖まではいつも大体二時間ちょいで着くので、途中で買い出しに寄っても正午までに着く・・・ハズでしたが・・・。
渋滞、渋滞、大渋滞ですげー事に。orz
東京から談合坂まで一切途切れることの無い大渋滞。
なんか、皆が皆オリンピックの開会式観終わった後に出発したんじゃないかと思うくらいの大渋滞です。
途中、河口湖IC下りてショッピングモールBELLでお肉だとか食料を買い出ししてから更に国道139号線で本栖に向かいましたがそこも渋滞・・・。
おかげで本栖ハイランドに着いたのは3時20分頃。
合計5時間45分も運転するハメに・・・。(死にそう)
今まで20年本栖で遊んでいますが、最高に時間が掛かりましたわ。(復路で8時間ってのがありましたが、往路では過去最長)
もう腰痛くなるわ、汗で背中びちょびちょだは、着いた途端にくたくたになりました。
1日目の私
1日目は戦闘はしないので一応帽章や階級章は付けて過ごしました。
他の軍隊に比べるとラフな感じですね。
1日目、午後3時53分頃の会場本部付近
あまり人が居なくてちょっと寂しい感じでした。
今回は約250名の参加者だったそうで、会場着いてもあまり人が居なくて少々さみしい感じでした。(会場が広い事による錯覚もあります。)
2002年は700人来ていたので、それに比べると大分規模が小さくなりましたね。
今回は降下猟友会のお身内衆5人でキャンプとなりましたが、私が到着したのが一番遅かったです。
本当は正午頃着ける予定だったんですけどね・・・トホホ・・・。
とりあえず、宿営地をセッティングしましたが、思いがけずリエナクメント関係でお世話になっている方々のお隣になりました。
タープ張って、一応大したものはありませんでしたが出店でしたのでお店の準備してと、小一時間くらいで準備完了となりました。
4、5人で準備すると割と楽ですね。
なんか良く判りませんが、一応プチ生活展示みたいな事もしてみました。
ゴザ引いて物ならべただけで、雨降ってきたのですぐ畳みましたが・・・。
焼き肉
本当は越南料理とかだと高得点なんですけど、まだそういう水準には至ってないですね。
夜は焼き肉パーティーをしました。
やっぱこういう所の醍醐味は、戦闘とかより気の合う仲間とキャンプで飲み食いしながらわいわい歓談する事だと思います。
思いがけずお隣のテントがリエナクメント等でお世話になっている方々だったので、ベトナム料理とか色々と差し入れ頂いちゃったりしてありがたい限りです。
発電機持ってきてたので、灯りに不自由しませんでしたが、うちのテントが端っこだったので、蛾やら蚊やらの虫くん達がうちのテントに集中してウザかったです。
最期は灯りの1つをテントから離れた所に設置して、そこに蛾とかをおびき寄せ、電球の直近で蚊取り線香焚いてたら虫くん達がぼこぼこ落っこちて凄い光景になっていました。(恐)
次回は殺虫灯持ってこないとだめだと思いました。
1日目は途中で雨が降りましたけど、大雨という程ではないので割と過ごしやすかったです。
例年に比べると、知り合いの参加も少なかったのでテントへの挨拶周りもお隣さんくらいですし、クラブサイゴンは満員で入れないわで割と暇でした。
2日目の私
得物はM22(56式の輸出タイプ)です。
戦闘中は徽章類は一切付けません。
参加者の集合写真
2日目の撮影で向かって右側がNVAや解放戦線ですが米軍と比べて戦力比が・・・。
2日目は北ベトナム軍ユニットで戦闘して遊びました。
お身内衆は4人が北ベトナム軍で約1名が裏切り者(米軍)でした。(笑)
4人だと中途半端なんで、他の皆様のユニットに編入されちゃいましたけど、今度はもっと多人数で参加して自前で分隊とか編成したいですね。
軍装の方も普段ナチスな人ばかりなんで北ベトナム軍は発展途上ですが、良い方向に進める気概はあるのでいずれは突き詰めて行きたいです。
共産軍は割と多く歩かされたので疲れましたけど面白かったです。
戦闘開始前に我々の前を通り過ぎた軍用車両
共産軍は載せて貰えませんでした。orz
戦闘終了後、火薬の爆破にあわせた寸劇に参加しました。
なかなかタイミング良く白兵戦したり倒れるのは難しいですね。
その様子を撮影していましたが上手く撮れていますかね?
その後、閉会式をして解散となりました。
帰宅の為に後片付けをしてると、愛用のスントの時計が行方不明になっている事に気がつきましたが、どうしてもありません。
荷物に紛れ込んだか、会場内で落としたか、この時点では見当も付きませんでした。
その後、お身内衆で会場近くの「富士眺望の湯ゆらり」で一風呂浴びて帰りました。
ここに来るのは数年ぶりだったのですが、夜中に来た事しかなかったのでもっと広い施設だったと錯覚していましたが、昼間に来るとそんなに大きな施設ではない感じですね。
途中、あまりに眠いので談合坂で寝て帰ったら家に着いたのが夜中の12時になりました。
疲れてたので即座に寝ようと思いましたが、無くしたスントの時計が気になって、荷物の心当たりの所を総点検しだしました。
ふと閃いて寝袋を点検したら、ぽろりと時計が出てきました。
そういえば、寝袋を敷き布団代わりにしていたのですが、時計をポケットに入れたまま(スントの時計はベトナム戦争時代ではOパーツなので腕にはめて露見させるのはマナー違反です。)寝ていたらごつごつ当たって痛かったんでポケットから取り出して脇に置いておいたのを気がつかずに寝袋畳んだら巻き込んだままにしていたみたいです。
あぶないですね。
気がつかなかったら次の野外イベントまで発見できないところでした。
という訳で、時計も発見できて割と良い感じなアホカリでした。
本職(職業じゃないYO!)じゃない北ベトナム軍でしたけど、こういう風に集まれる機会を逃さずにどんどん遊びたいですね。
もう9月なんで1ヶ月以上も前の話ですけど、折角なんで転載しておきます。
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7月28日(土)~29日(日)はサムズミリタリ屋さん主催で本栖ハイランドにて行われた「アホカリプスVN リユニオン2012」に征って来ました。
ナム戦というと私は大体オーストラリア軍で征っていましたが、今回は(も)オーストラリア軍が誰一人として来ない様ですし、降下猟友会の身内衆も北ベトナム軍で征くというので一緒に北ベトナム軍で参加する事にしました。
一人だけオーストラリア軍の恰好するよりも、皆と同じ北ベトナム軍で合わせた方が楽しいですしね。
出発前、丁度オリンピックの開会式だったので、それを大体観終わった9時位に自宅を出発しました。
本栖まではいつも大体二時間ちょいで着くので、途中で買い出しに寄っても正午までに着く・・・ハズでしたが・・・。
渋滞、渋滞、大渋滞ですげー事に。orz
東京から談合坂まで一切途切れることの無い大渋滞。
なんか、皆が皆オリンピックの開会式観終わった後に出発したんじゃないかと思うくらいの大渋滞です。
途中、河口湖IC下りてショッピングモールBELLでお肉だとか食料を買い出ししてから更に国道139号線で本栖に向かいましたがそこも渋滞・・・。
おかげで本栖ハイランドに着いたのは3時20分頃。
合計5時間45分も運転するハメに・・・。(死にそう)
今まで20年本栖で遊んでいますが、最高に時間が掛かりましたわ。(復路で8時間ってのがありましたが、往路では過去最長)
もう腰痛くなるわ、汗で背中びちょびちょだは、着いた途端にくたくたになりました。
1日目の私
1日目は戦闘はしないので一応帽章や階級章は付けて過ごしました。
他の軍隊に比べるとラフな感じですね。
1日目、午後3時53分頃の会場本部付近
あまり人が居なくてちょっと寂しい感じでした。
今回は約250名の参加者だったそうで、会場着いてもあまり人が居なくて少々さみしい感じでした。(会場が広い事による錯覚もあります。)
2002年は700人来ていたので、それに比べると大分規模が小さくなりましたね。
今回は降下猟友会のお身内衆5人でキャンプとなりましたが、私が到着したのが一番遅かったです。
本当は正午頃着ける予定だったんですけどね・・・トホホ・・・。
とりあえず、宿営地をセッティングしましたが、思いがけずリエナクメント関係でお世話になっている方々のお隣になりました。
タープ張って、一応大したものはありませんでしたが出店でしたのでお店の準備してと、小一時間くらいで準備完了となりました。
4、5人で準備すると割と楽ですね。
なんか良く判りませんが、一応プチ生活展示みたいな事もしてみました。
ゴザ引いて物ならべただけで、雨降ってきたのですぐ畳みましたが・・・。
焼き肉
本当は越南料理とかだと高得点なんですけど、まだそういう水準には至ってないですね。
夜は焼き肉パーティーをしました。
やっぱこういう所の醍醐味は、戦闘とかより気の合う仲間とキャンプで飲み食いしながらわいわい歓談する事だと思います。
思いがけずお隣のテントがリエナクメント等でお世話になっている方々だったので、ベトナム料理とか色々と差し入れ頂いちゃったりしてありがたい限りです。
発電機持ってきてたので、灯りに不自由しませんでしたが、うちのテントが端っこだったので、蛾やら蚊やらの虫くん達がうちのテントに集中してウザかったです。
最期は灯りの1つをテントから離れた所に設置して、そこに蛾とかをおびき寄せ、電球の直近で蚊取り線香焚いてたら虫くん達がぼこぼこ落っこちて凄い光景になっていました。(恐)
次回は殺虫灯持ってこないとだめだと思いました。
1日目は途中で雨が降りましたけど、大雨という程ではないので割と過ごしやすかったです。
例年に比べると、知り合いの参加も少なかったのでテントへの挨拶周りもお隣さんくらいですし、クラブサイゴンは満員で入れないわで割と暇でした。
2日目の私
得物はM22(56式の輸出タイプ)です。
戦闘中は徽章類は一切付けません。
参加者の集合写真
2日目の撮影で向かって右側がNVAや解放戦線ですが米軍と比べて戦力比が・・・。
2日目は北ベトナム軍ユニットで戦闘して遊びました。
お身内衆は4人が北ベトナム軍で約1名が裏切り者(米軍)でした。(笑)
4人だと中途半端なんで、他の皆様のユニットに編入されちゃいましたけど、今度はもっと多人数で参加して自前で分隊とか編成したいですね。
軍装の方も普段ナチスな人ばかりなんで北ベトナム軍は発展途上ですが、良い方向に進める気概はあるのでいずれは突き詰めて行きたいです。
共産軍は割と多く歩かされたので疲れましたけど面白かったです。
戦闘開始前に我々の前を通り過ぎた軍用車両
共産軍は載せて貰えませんでした。orz
戦闘終了後、火薬の爆破にあわせた寸劇に参加しました。
なかなかタイミング良く白兵戦したり倒れるのは難しいですね。
その様子を撮影していましたが上手く撮れていますかね?
その後、閉会式をして解散となりました。
帰宅の為に後片付けをしてると、愛用のスントの時計が行方不明になっている事に気がつきましたが、どうしてもありません。
荷物に紛れ込んだか、会場内で落としたか、この時点では見当も付きませんでした。
その後、お身内衆で会場近くの「富士眺望の湯ゆらり」で一風呂浴びて帰りました。
ここに来るのは数年ぶりだったのですが、夜中に来た事しかなかったのでもっと広い施設だったと錯覚していましたが、昼間に来るとそんなに大きな施設ではない感じですね。
途中、あまりに眠いので談合坂で寝て帰ったら家に着いたのが夜中の12時になりました。
疲れてたので即座に寝ようと思いましたが、無くしたスントの時計が気になって、荷物の心当たりの所を総点検しだしました。
ふと閃いて寝袋を点検したら、ぽろりと時計が出てきました。
そういえば、寝袋を敷き布団代わりにしていたのですが、時計をポケットに入れたまま(スントの時計はベトナム戦争時代ではOパーツなので腕にはめて露見させるのはマナー違反です。)寝ていたらごつごつ当たって痛かったんでポケットから取り出して脇に置いておいたのを気がつかずに寝袋畳んだら巻き込んだままにしていたみたいです。
あぶないですね。
気がつかなかったら次の野外イベントまで発見できないところでした。
という訳で、時計も発見できて割と良い感じなアホカリでした。
本職(職業じゃないYO!)じゃない北ベトナム軍でしたけど、こういう風に集まれる機会を逃さずにどんどん遊びたいですね。
2007年10月28日
べトべトしま戦か?第5戦
※この記事は2012年10月14日にサルベージした記事です。※
多分この日記がアップされている頃には私はハートロックで本栖に居ると思います。
ミリブロの機能は使いやすくて良いですね。
さて、本日のリサイクル日記は良い感じに人数が増えてきて嬉しいベトナム戦争リエナクメント(ヒストリカルゲーム)イベント「べトべトしま戦か?第5戦」です。
画像は以下の12枚です。
一緒に行動した仲間と
北側ユニット
実はこの撮影は戦闘の合間に撮られたのですが、何名かの共産兵が米軍側の捕虜になっていて、撮影に混じれなかったりして。(哀)
南側ユニット
米軍、南ベトナム軍、オーストラリア軍(SAS)、韓国軍等、アホカリの縮図の様ですね。
開会式前、朝の様子
朝からかなり人が多いです。
フリーマーケットも何店舗もあり、マルイM16の電動ガンが5千円とかビックリ価格で大放出されていました。
開会式の様子
MCのお話が上手いので大いに盛り上がります。
寸劇によるルール説明
紙媒体ではなくて寸劇でルールを説明していただけるのでとても判りやすいです。
水没した共産軍本部
増水でタープテントを設置した場所も沈んでしまいました。
あえなく別の場所に共産軍本部は移動となりました。
釣りにふける村人
戦争など何処吹く風、村人は村人プレイに徹します。
リエナクターの鑑ですね。
かなりの高得点です。
水没遅滞を進む私
ありえない方向から奇襲出来て有利ですが、転けるとパンツまで水浸しだし電動ガンは壊れるしでとてもしんどいです。
転んだらどうしようかとおっかなびっくりです。
連行されるアメリカ軍第四歩兵師団の捕虜
共産兵や村民に散々罵声を浴びせられたり、拷問されたりイタズラ(性的な意味で)されたり、村で耕耘等の強制労働を科せられたりしていました。
いつも美味しい所を持っていくSBIの皆様には脱帽物です。
村の畑
米第四歩兵師団の強制労働による賜物です。(笑)
まだリビングヒストリーとかが流行る前の事ですね。
こういうの見ると当時はナム戦イベントの方が二次戦イベントよりも進んでいたと思います。
最終戦における南側の攻勢
南側の勝利で終了しました。
以下、大体当時の日記の原文です。
--------------------------------------------------
という訳で、2007年10月28日は、イバラ・キ州モ・リヤ地区トネリヴァー付近で行われた「べトべトしま戦か?第5戦」に征ってきました。
初心者からベテランまでが楽しめる「ライト感覚べトナム戦争ヒストリカルゲーム」イベントです。
今回は、北ベトナム軍で出征してきました。
当日は晴天でしたが、折からの台風の影響でフィールドの川辺が増水した為、いつも遊んでいるフィールドの大半が水浸しになっていました。
その為、いつもよりかなり戦闘出来る範囲が限られてしまいましたが、反面、水に浸かって進んだり、ボート(に見立てた謎の浮遊物)に載って遊ぶ(村人)という、普段のゲームではありえない遊びをしでかしたりできたので、これはこれでいいかもといった感じです。
参加人数は、かなり多かったです。
私はここ2回ほど欠席してるのですが、久々に来たらかなり増えていました。
過去最大でしょうか?(正式発表を見てないので正確には判りませんが)
コンバットマガジンさんの取材も有りました。
後日、掲載されるみたいです。
一応、ライト感覚ではありますが、サバゲーとは違いヒストリカルゲームなので、村人が釣りしてたり、畑耕してたり(耕したのは捕虜となった第四歩兵師団だけど)、南ベトナム軍の宣撫工作とかの適度なロールプレイも見受けられました。
戦闘の方は、ある程度シチュエーション通りで、攻勢と守備を陣営を変えてくり返す感じです。
増水で、迂回が困難な為、もっぱら正面衝突が多かったですが、今回から採用されたヘリボーンルールで米軍が後方に降下するなど、変則的な事態も加味されました。
私とさめさんとをりさん他数名で、敵のCPを襲撃して、敵兵10名以上殺害したりして鉄十字章とか貰いたい気分でしたが、奇襲後に離脱したら、後ろから着た味方に誤射されてイヤーンです。(笑)
増水した藪を進んでいたら、水の中にお魚さんが泳いでいました。
水干上がったらお魚さん死ぬじゃん?(死亡フラグ)
それにして、弾数制限とか一切ないので、いつもの数倍の弾薬消費量です。
ゼンマイ式マガジン、何回もカラにしといてナニですが、せめてゼンマイ式マガジンとか禁止にすれば、戦闘の駆け引きが出てきて、もっと楽しくなりそうです。
会場内で、KM企画のドラグノフを試射させて頂きました。
すげーあたるじゃん。
欲しいですねこれ。
でもセミオートじゃないのがちょっとさみしいです。
ってか、ナム戦イベントにドラグノフダメだと思いますが・・・。
終わった後、コンビニ付近に屯して、降下猟友会でちょっと冬本栖について打ち合わせ、しかる後、眠いのでサービスエリアで4時間ほど寝て帰ったら、眠気も覚め、みなみけがリアルタイムで観れるほどに。(謎)
と、そんなこんなで、皆さん思い思いにナム戦を楽しんでいらっしゃいました。
次回も是非参加させて頂きたいです。
--------------------------------------------------
多分この日記がアップされている頃には私はハートロックで本栖に居ると思います。
ミリブロの機能は使いやすくて良いですね。
さて、本日のリサイクル日記は良い感じに人数が増えてきて嬉しいベトナム戦争リエナクメント(ヒストリカルゲーム)イベント「べトべトしま戦か?第5戦」です。
画像は以下の12枚です。
一緒に行動した仲間と
北側ユニット
実はこの撮影は戦闘の合間に撮られたのですが、何名かの共産兵が米軍側の捕虜になっていて、撮影に混じれなかったりして。(哀)
南側ユニット
米軍、南ベトナム軍、オーストラリア軍(SAS)、韓国軍等、アホカリの縮図の様ですね。
開会式前、朝の様子
朝からかなり人が多いです。
フリーマーケットも何店舗もあり、マルイM16の電動ガンが5千円とかビックリ価格で大放出されていました。
開会式の様子
MCのお話が上手いので大いに盛り上がります。
寸劇によるルール説明
紙媒体ではなくて寸劇でルールを説明していただけるのでとても判りやすいです。
水没した共産軍本部
増水でタープテントを設置した場所も沈んでしまいました。
あえなく別の場所に共産軍本部は移動となりました。
釣りにふける村人
戦争など何処吹く風、村人は村人プレイに徹します。
リエナクターの鑑ですね。
かなりの高得点です。
水没遅滞を進む私
ありえない方向から奇襲出来て有利ですが、転けるとパンツまで水浸しだし電動ガンは壊れるしでとてもしんどいです。
転んだらどうしようかとおっかなびっくりです。
連行されるアメリカ軍第四歩兵師団の捕虜
共産兵や村民に散々罵声を浴びせられたり、拷問されたりイタズラ(性的な意味で)されたり、村で耕耘等の強制労働を科せられたりしていました。
いつも美味しい所を持っていくSBIの皆様には脱帽物です。
村の畑
米第四歩兵師団の強制労働による賜物です。(笑)
まだリビングヒストリーとかが流行る前の事ですね。
こういうの見ると当時はナム戦イベントの方が二次戦イベントよりも進んでいたと思います。
最終戦における南側の攻勢
南側の勝利で終了しました。
以下、大体当時の日記の原文です。
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という訳で、2007年10月28日は、イバラ・キ州モ・リヤ地区トネリヴァー付近で行われた「べトべトしま戦か?第5戦」に征ってきました。
初心者からベテランまでが楽しめる「ライト感覚べトナム戦争ヒストリカルゲーム」イベントです。
今回は、北ベトナム軍で出征してきました。
当日は晴天でしたが、折からの台風の影響でフィールドの川辺が増水した為、いつも遊んでいるフィールドの大半が水浸しになっていました。
その為、いつもよりかなり戦闘出来る範囲が限られてしまいましたが、反面、水に浸かって進んだり、ボート(に見立てた謎の浮遊物)に載って遊ぶ(村人)という、普段のゲームではありえない遊びをしでかしたりできたので、これはこれでいいかもといった感じです。
参加人数は、かなり多かったです。
私はここ2回ほど欠席してるのですが、久々に来たらかなり増えていました。
過去最大でしょうか?(正式発表を見てないので正確には判りませんが)
コンバットマガジンさんの取材も有りました。
後日、掲載されるみたいです。
一応、ライト感覚ではありますが、サバゲーとは違いヒストリカルゲームなので、村人が釣りしてたり、畑耕してたり(耕したのは捕虜となった第四歩兵師団だけど)、南ベトナム軍の宣撫工作とかの適度なロールプレイも見受けられました。
戦闘の方は、ある程度シチュエーション通りで、攻勢と守備を陣営を変えてくり返す感じです。
増水で、迂回が困難な為、もっぱら正面衝突が多かったですが、今回から採用されたヘリボーンルールで米軍が後方に降下するなど、変則的な事態も加味されました。
私とさめさんとをりさん他数名で、敵のCPを襲撃して、敵兵10名以上殺害したりして鉄十字章とか貰いたい気分でしたが、奇襲後に離脱したら、後ろから着た味方に誤射されてイヤーンです。(笑)
増水した藪を進んでいたら、水の中にお魚さんが泳いでいました。
水干上がったらお魚さん死ぬじゃん?(死亡フラグ)
それにして、弾数制限とか一切ないので、いつもの数倍の弾薬消費量です。
ゼンマイ式マガジン、何回もカラにしといてナニですが、せめてゼンマイ式マガジンとか禁止にすれば、戦闘の駆け引きが出てきて、もっと楽しくなりそうです。
会場内で、KM企画のドラグノフを試射させて頂きました。
すげーあたるじゃん。
欲しいですねこれ。
でもセミオートじゃないのがちょっとさみしいです。
ってか、ナム戦イベントにドラグノフダメだと思いますが・・・。
終わった後、コンビニ付近に屯して、降下猟友会でちょっと冬本栖について打ち合わせ、しかる後、眠いのでサービスエリアで4時間ほど寝て帰ったら、眠気も覚め、みなみけがリアルタイムで観れるほどに。(謎)
と、そんなこんなで、皆さん思い思いにナム戦を楽しんでいらっしゃいました。
次回も是非参加させて頂きたいです。
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2007年08月11日
ベトナム戦争イベント「MVG in Vietnam'07「Operation BOB」
※この記事は2012年10月10日にサルベージした記事です。※
相変わらずのリサイクル日記で恐縮です。
2007年7月29(日)東京キャロルで開催されたゲリラフェスタに行って来た様ですが、こちらは日記が残されていませんので次の参加イベントである8月11日~12日に開催され得たナム戦イベント「MVG in Vietnam'07「Operation BOB」」の日記です。
一応公式にはMVGなのですが、事実上アホカリなイベントですね。
この回はオーストラリア軍で参加しましたけど、オーストラリア兵は5名だけでした。
画像は以下の4枚がありました。
キャンプでご一緒した仲間
どうみても悪い米兵に絡まれてる豪兵にしかみえない。(笑)
オーストラリア軍は全体で5人でしたが、一緒にキャンプしたお身内衆の中では私一人でした。
残りの皆様は米軍第四歩兵師団です。
ナチスドイツ軍の時は降下猟兵で揃いますが、アホカリやベトベト等ナム戦では米軍と豪軍に別れます。(あと場合によって北ベトナム軍にも)
M60ガンナー
一緒のユニットに組み込まれたお友達(第四歩兵師団のガンナー)の後ろ姿です。
村落を巡る攻防
確か寸劇みたいなのをやっていた気がします。
村落の収穫物
この村落、細かい所まで良く作られていてとてもリアルでした。
以下、大体当時の日記の原文です。
--------------------------------------------------
っつー事で、2007年8月11日(土)から12日(日)は、本栖ハイランドで行われたベトナム戦争イベント「MVG in Vietnam'07「Operation BOB」」に征ってきました。
ちなみに、「Operation BOB」の「BOB」とは、故三島瑞穂さん(日本人唯一本物のグリーンベレーの方)の愛称からとの事。
閉会式において、故人の御冥福をお祈りした一言がありました。
MVGとしていますが、事実上のアホカリと言えるイベントです。
8月11日(土)はやんごとなき事情があって東京にいないといけなかった為、浜松町で行われたブラックホールの方に行き、夜に本栖に馳せ参じるという強行軍でかなりしんどい事になりました。
黒穴の方は、案の定というか、なんというか、大分しょんぼりしたイベントになった気がしますね。
私は1日目しか行きませんでしたが、MVGやワンフェスといった大型イベントとバッティングしまくっていた2日目は更に酷かった様で、出店していた知人曰く、閑散としていて売り上げは最低だったとか。
3時45分頃に車で黒穴会場から出て自宅に向かいましたが、お盆渋滞で家に着いたのが5時30分。
用意していた荷物を大急ぎで積んで6時頃本栖に向けて出発しましたが、高速にのった途端に靴を載っけるのを忘れた事に気が付いて引き返して、1時間のロスし、漸く7時頃再出発しました。
朝のテレビニュースでは、道中は凄まじい混雑の様子でしたが、高速に載ると全然空いていて、夜9時40分頃には本栖ハイランドに着いてしまいました。
11日の日中は東京でも36度超の猛暑でしたが、本栖の会場も日中は36度超で茹だるような暑さだった様です。
私は結構涼しくなってから来たので大丈夫でしたが、そんな中、生活展示とか、でっかいテントとか、村落を押っ立てたりしていた皆様は大変お疲れさまです。
会場着いたら、降下猟兵で遊んでいるお身内衆がディナーを用意してくれていたので、駆けつけ一杯というか、その場で宴会モードに突入。
なぜか色々な人が立ち替わりお見えになり、お下劣なお話で夜2時半ごろまで盛り上がりました。(翌日、死亡フラグ立ちました。)
翌日も見事なピーカンでした。
具体的に何度まで上がったのかは判りませんが、気温が上がり、茹だるような暑さになりました。
そんなに深酒しませんでしたが、前日の強行軍などで疲労困憊の為、最初から背筋がぴっとしない感じでした。
今回もオーストラリア軍で参加しましたが、オーストラリア軍は総勢5名と寡兵でしたので、同じく4名と寡兵な米第4歩兵師団と共に米第25歩兵師団にジョイントされる事になりました。
なんか、移動のトラックも、以前はすし詰めで載せられたのに、今回は5名で独占してしまいました。
出撃位置まで輸送され、行軍するまでに時間がありそうなので、早速ティータイムとしゃれ込んでいた所、共産軍にあり得ない方角から奇襲されて、あわや壊滅。
開始早々、復活ポイントにへばりつき再編成するハメに・・・。
やけに当たる狙撃銃で攻撃しいてくる敵だなぁと思っていたら、案の定得物はKTWのモシンナガンで敵は未来中年Y本さんでした。(やっぱりあんたか!)
今回は、パトロール戦だっていうんで、どういう感じでゲームすんのか疑問でしたが、本当に長距離行軍させられました。
あっち行け、こっち偵察しろ、ここ通れ・・・。
すさまじく「歩兵」を実感しました。
リエナクメントはやっぱこうじゃなきゃいけません。
茹だるような暑さの中、あれだけ歩いたのに戦闘3回しかしなかったし。(うち1回は散発的に相互に「発砲」した程度)
ま、3回しか戦闘しなかったけど、3回お茶しましたケドね。(笑)
ゲーム後半、On Sam村(敵の村落)を攻撃する為に半包囲しつつある際、ありえない方向のブッシュからにわかにガサガサ物音がしてベトコンのブッシュハットらしき物が見えたので、豪兵が一斉に銃を向けて囲繞し捕獲しました。
今回のオーストラリア軍初のお手柄です。
・・・と思いきや、それは米軍特殊部隊でした。ミカタツカマエテドウスル_| ̄|○
ゲーム終盤、村落攻撃の開始直後、流れ弾に当たって戦死してしまったので、遠目に見物していましたが、村には建物や畑、農具等のリアルな小道具が散見出来カッチョ良かったです。
最後は村落を陥落させて、南側の勝利で終了でした。
ゲーム終了後、アトラクションがあり、見学しましたが、爆薬とかも炸裂してかなり迫力でした。
皆さん迫真の演技で楽しませて頂きました。
その後、閉会式を行い、お片づけをし、すこしだべった後に午後3時50分頃に会場を出ました。
家庭の事情で朝8時半までに車から荷物を全部下ろしておかないと行けなかったので、温泉など寄らずに即座に帰りましたが、ものの見事にお盆渋滞に巻き込まれて、家に到着するまで6時間ちょいも掛かってしまい、死にそうになりました。
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相変わらずのリサイクル日記で恐縮です。
2007年7月29(日)東京キャロルで開催されたゲリラフェスタに行って来た様ですが、こちらは日記が残されていませんので次の参加イベントである8月11日~12日に開催され得たナム戦イベント「MVG in Vietnam'07「Operation BOB」」の日記です。
一応公式にはMVGなのですが、事実上アホカリなイベントですね。
この回はオーストラリア軍で参加しましたけど、オーストラリア兵は5名だけでした。
画像は以下の4枚がありました。
キャンプでご一緒した仲間
どうみても悪い米兵に絡まれてる豪兵にしかみえない。(笑)
オーストラリア軍は全体で5人でしたが、一緒にキャンプしたお身内衆の中では私一人でした。
残りの皆様は米軍第四歩兵師団です。
ナチスドイツ軍の時は降下猟兵で揃いますが、アホカリやベトベト等ナム戦では米軍と豪軍に別れます。(あと場合によって北ベトナム軍にも)
M60ガンナー
一緒のユニットに組み込まれたお友達(第四歩兵師団のガンナー)の後ろ姿です。
村落を巡る攻防
確か寸劇みたいなのをやっていた気がします。
村落の収穫物
この村落、細かい所まで良く作られていてとてもリアルでした。
以下、大体当時の日記の原文です。
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っつー事で、2007年8月11日(土)から12日(日)は、本栖ハイランドで行われたベトナム戦争イベント「MVG in Vietnam'07「Operation BOB」」に征ってきました。
ちなみに、「Operation BOB」の「BOB」とは、故三島瑞穂さん(日本人唯一本物のグリーンベレーの方)の愛称からとの事。
閉会式において、故人の御冥福をお祈りした一言がありました。
MVGとしていますが、事実上のアホカリと言えるイベントです。
8月11日(土)はやんごとなき事情があって東京にいないといけなかった為、浜松町で行われたブラックホールの方に行き、夜に本栖に馳せ参じるという強行軍でかなりしんどい事になりました。
黒穴の方は、案の定というか、なんというか、大分しょんぼりしたイベントになった気がしますね。
私は1日目しか行きませんでしたが、MVGやワンフェスといった大型イベントとバッティングしまくっていた2日目は更に酷かった様で、出店していた知人曰く、閑散としていて売り上げは最低だったとか。
3時45分頃に車で黒穴会場から出て自宅に向かいましたが、お盆渋滞で家に着いたのが5時30分。
用意していた荷物を大急ぎで積んで6時頃本栖に向けて出発しましたが、高速にのった途端に靴を載っけるのを忘れた事に気が付いて引き返して、1時間のロスし、漸く7時頃再出発しました。
朝のテレビニュースでは、道中は凄まじい混雑の様子でしたが、高速に載ると全然空いていて、夜9時40分頃には本栖ハイランドに着いてしまいました。
11日の日中は東京でも36度超の猛暑でしたが、本栖の会場も日中は36度超で茹だるような暑さだった様です。
私は結構涼しくなってから来たので大丈夫でしたが、そんな中、生活展示とか、でっかいテントとか、村落を押っ立てたりしていた皆様は大変お疲れさまです。
会場着いたら、降下猟兵で遊んでいるお身内衆がディナーを用意してくれていたので、駆けつけ一杯というか、その場で宴会モードに突入。
なぜか色々な人が立ち替わりお見えになり、お下劣なお話で夜2時半ごろまで盛り上がりました。(翌日、死亡フラグ立ちました。)
翌日も見事なピーカンでした。
具体的に何度まで上がったのかは判りませんが、気温が上がり、茹だるような暑さになりました。
そんなに深酒しませんでしたが、前日の強行軍などで疲労困憊の為、最初から背筋がぴっとしない感じでした。
今回もオーストラリア軍で参加しましたが、オーストラリア軍は総勢5名と寡兵でしたので、同じく4名と寡兵な米第4歩兵師団と共に米第25歩兵師団にジョイントされる事になりました。
なんか、移動のトラックも、以前はすし詰めで載せられたのに、今回は5名で独占してしまいました。
出撃位置まで輸送され、行軍するまでに時間がありそうなので、早速ティータイムとしゃれ込んでいた所、共産軍にあり得ない方角から奇襲されて、あわや壊滅。
開始早々、復活ポイントにへばりつき再編成するハメに・・・。
やけに当たる狙撃銃で攻撃しいてくる敵だなぁと思っていたら、案の定得物はKTWのモシンナガンで敵は未来中年Y本さんでした。(やっぱりあんたか!)
今回は、パトロール戦だっていうんで、どういう感じでゲームすんのか疑問でしたが、本当に長距離行軍させられました。
あっち行け、こっち偵察しろ、ここ通れ・・・。
すさまじく「歩兵」を実感しました。
リエナクメントはやっぱこうじゃなきゃいけません。
茹だるような暑さの中、あれだけ歩いたのに戦闘3回しかしなかったし。(うち1回は散発的に相互に「発砲」した程度)
ま、3回しか戦闘しなかったけど、3回お茶しましたケドね。(笑)
ゲーム後半、On Sam村(敵の村落)を攻撃する為に半包囲しつつある際、ありえない方向のブッシュからにわかにガサガサ物音がしてベトコンのブッシュハットらしき物が見えたので、豪兵が一斉に銃を向けて囲繞し捕獲しました。
今回のオーストラリア軍初のお手柄です。
・・・と思いきや、それは米軍特殊部隊でした。ミカタツカマエテドウスル_| ̄|○
ゲーム終盤、村落攻撃の開始直後、流れ弾に当たって戦死してしまったので、遠目に見物していましたが、村には建物や畑、農具等のリアルな小道具が散見出来カッチョ良かったです。
最後は村落を陥落させて、南側の勝利で終了でした。
ゲーム終了後、アトラクションがあり、見学しましたが、爆薬とかも炸裂してかなり迫力でした。
皆さん迫真の演技で楽しませて頂きました。
その後、閉会式を行い、お片づけをし、すこしだべった後に午後3時50分頃に会場を出ました。
家庭の事情で朝8時半までに車から荷物を全部下ろしておかないと行けなかったので、温泉など寄らずに即座に帰りましたが、ものの見事にお盆渋滞に巻き込まれて、家に到着するまで6時間ちょいも掛かってしまい、死にそうになりました。
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2007年06月10日
ベトナム戦争イベント「Vietnam WAR」
※この記事は2012年10月8日にサルベージした記事です。※
2007年5月27日(日)は「第45回ザ・ビクトリーショー」に行ってた様ですが残念ながらこの頃忙しくて日記は書いていなかった様ですね。
なので、今日のリサイクル日記はその次のイベント、2007年6月10日(日)に千葉ビレッジ1で行われた「Vietnam WAR」の日記です。
いつもベトナム戦争のリエナクメント(ヒストリカルゲーム)イベントはオーストラリア軍で参加していますが、このイベントはオーストラリア軍の募集がなかったので北ベトナム軍(ってかベトナム人民軍)でエントリーしました。
このイベント、リアルカウント戦だったので凄まじく面白かったですね。
バカラチオン作戦でも60発戦で再現してみましたけど、放水活動みたいに無制限にBB弾ばらまくより限られた弾数でちまちま戦う方が本当に面白いです。
画像は以下の7枚がありました。
集合写真
これ、雨が降った後に撮影した為、かなりの人が途中で帰っちゃって大分人数減ってるんですが、最初はもっと大勢人が居ました。
最後に生き残った北ベトナム兵で記念撮影
これも雨が降って人がかなり帰ってしまった後なのでこれしか写っていませんけど、実際にはもっと多くの方が参加されました。
当日の私(使用前)
チェストリグをだらしなく付けてるのは仕様です。
当日の私(使用後)
泥んこになって元気一杯に遊びました。
深いブッシュを進む解放軍
解放軍の方が寡兵なんですが、ゲリラ戦術で常に善戦しておりました。
攻撃しちゃトンズラ、攻撃しちゃトンズラで、結構道からそれた藪とか入っていったりして神出鬼没でした。
地下トンネル入り口
中はこの様な地下迷宮になっていて入ったら生きて帰って来れません。→★
ベトコントンネル
地下トンネルで撮った写真を加工してみました。
現在はこの横穴は封鎖されているそうです。
以下、大体当時の日記の原文ですが、当時は忙しくて長文書けなかったので短いです・・・。
--------------------------------------------------
私は北ベトナム軍でエントリー。
このイベントはリアルカウント戦でした。
リアルカウントマガジンなのでAK47(私の得物はM22だよ~)だと30発しか弾が入らない。
同様に米軍側のM16も20発しか弾が入らない。
普通のゲームだと、会敵したら、どちらかが殺し尽くされるまで戦い続けるんだけど、双方とも弾が切れると自然に退いて戦闘が終わる。
みんなマガジンチェンジに慣れていないのか、至近で会敵した米兵が、マガジンがポーチからマガジンを抜けなくてあたふたしてるのが面白かった。
セミオートも凄く重要。
リアルカウント戦、凄まじく面白くて病み付きになります。
途中で雨降ってきたら、共産側が半分位帰っちゃって戦力半減。
その後、雨が止んだのでゲーム再開したんですが、足場がぬかるんで最高にリアルな感じを醸し出していました。
パンツが濡れ濡れになる程泥んこになりました。
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2007年5月27日(日)は「第45回ザ・ビクトリーショー」に行ってた様ですが残念ながらこの頃忙しくて日記は書いていなかった様ですね。
なので、今日のリサイクル日記はその次のイベント、2007年6月10日(日)に千葉ビレッジ1で行われた「Vietnam WAR」の日記です。
いつもベトナム戦争のリエナクメント(ヒストリカルゲーム)イベントはオーストラリア軍で参加していますが、このイベントはオーストラリア軍の募集がなかったので北ベトナム軍(ってかベトナム人民軍)でエントリーしました。
このイベント、リアルカウント戦だったので凄まじく面白かったですね。
バカラチオン作戦でも60発戦で再現してみましたけど、放水活動みたいに無制限にBB弾ばらまくより限られた弾数でちまちま戦う方が本当に面白いです。
画像は以下の7枚がありました。
集合写真
これ、雨が降った後に撮影した為、かなりの人が途中で帰っちゃって大分人数減ってるんですが、最初はもっと大勢人が居ました。
最後に生き残った北ベトナム兵で記念撮影
これも雨が降って人がかなり帰ってしまった後なのでこれしか写っていませんけど、実際にはもっと多くの方が参加されました。
当日の私(使用前)
チェストリグをだらしなく付けてるのは仕様です。
当日の私(使用後)
泥んこになって元気一杯に遊びました。
深いブッシュを進む解放軍
解放軍の方が寡兵なんですが、ゲリラ戦術で常に善戦しておりました。
攻撃しちゃトンズラ、攻撃しちゃトンズラで、結構道からそれた藪とか入っていったりして神出鬼没でした。
地下トンネル入り口
中はこの様な地下迷宮になっていて入ったら生きて帰って来れません。→★
ベトコントンネル
地下トンネルで撮った写真を加工してみました。
現在はこの横穴は封鎖されているそうです。
以下、大体当時の日記の原文ですが、当時は忙しくて長文書けなかったので短いです・・・。
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私は北ベトナム軍でエントリー。
このイベントはリアルカウント戦でした。
リアルカウントマガジンなのでAK47(私の得物はM22だよ~)だと30発しか弾が入らない。
同様に米軍側のM16も20発しか弾が入らない。
普通のゲームだと、会敵したら、どちらかが殺し尽くされるまで戦い続けるんだけど、双方とも弾が切れると自然に退いて戦闘が終わる。
みんなマガジンチェンジに慣れていないのか、至近で会敵した米兵が、マガジンがポーチからマガジンを抜けなくてあたふたしてるのが面白かった。
セミオートも凄く重要。
リアルカウント戦、凄まじく面白くて病み付きになります。
途中で雨降ってきたら、共産側が半分位帰っちゃって戦力半減。
その後、雨が止んだのでゲーム再開したんですが、足場がぬかるんで最高にリアルな感じを醸し出していました。
パンツが濡れ濡れになる程泥んこになりました。
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2006年10月22日
ベトベトしま戦か?第3戦
※この記事は2012年9月23日にサルベージした記事です。※
またサルベージ日記です。
ここ数日大体2006年ごろの日記を転載していますが、以前やっていたホームページに載っけていたそれ以前の日記とかも古いパソコンの方にデーターが残っていそうなのでいずれは転載したいですね。
まあまずは手軽に転載出来る所から転載していきます。
ってか、書き下ろしも書けYO!って感じですが。(笑)
画像は以下の3枚がありました。
開会式の様子
オーストラリア軍の皆様と共に
当日の私
以下、大体当時の日記の原文です。
--------------------------------------------------
っつー事で、2006年10月22日は、イバラ・キ州モ・リヤ地区トネ・リヴァー付近ベトベトエリアで行われた「べトべトしま戦か?第3戦」に行って来ました。
今回は、オーストラリア軍で参戦でした。
なんか、エントリー出来るユニットの自由度が高いので、お身内衆も米第四歩兵師団だったり北ベトナム軍だったりと色々です。
今回は、オーストラリア軍が他に2名の参加者がいらしたので、3人になってとても嬉しいです。
予期せず、戦場は凄い湿地帯になってて、メコンデルタっぽくてナイスでした。
両陣営共、ナム心が旺盛で、進入が困難でまどろっこしい湿地帯を通ったりして攻撃してくるので。唐突な会敵に驚かされます。
私共も、膝くらいまで水に浸かりながら、湿地帯を進んだりしてハッスル(死語)させて頂きました。
でも、湿地帯で戦死して、死に真似したら、パンツまで濡れ濡れになっちゃいました。
それにしても、完全武装で1日ノンストップで遊ぶとすると、疲れますね。
1日経っても筋肉痛です。
次回は平成19年4月22日開催予定との事、今から楽しみです。
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またサルベージ日記です。
ここ数日大体2006年ごろの日記を転載していますが、以前やっていたホームページに載っけていたそれ以前の日記とかも古いパソコンの方にデーターが残っていそうなのでいずれは転載したいですね。
まあまずは手軽に転載出来る所から転載していきます。
ってか、書き下ろしも書けYO!って感じですが。(笑)
画像は以下の3枚がありました。
開会式の様子
オーストラリア軍の皆様と共に
当日の私
以下、大体当時の日記の原文です。
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っつー事で、2006年10月22日は、イバラ・キ州モ・リヤ地区トネ・リヴァー付近ベトベトエリアで行われた「べトべトしま戦か?第3戦」に行って来ました。
今回は、オーストラリア軍で参戦でした。
なんか、エントリー出来るユニットの自由度が高いので、お身内衆も米第四歩兵師団だったり北ベトナム軍だったりと色々です。
今回は、オーストラリア軍が他に2名の参加者がいらしたので、3人になってとても嬉しいです。
予期せず、戦場は凄い湿地帯になってて、メコンデルタっぽくてナイスでした。
両陣営共、ナム心が旺盛で、進入が困難でまどろっこしい湿地帯を通ったりして攻撃してくるので。唐突な会敵に驚かされます。
私共も、膝くらいまで水に浸かりながら、湿地帯を進んだりしてハッスル(死語)させて頂きました。
でも、湿地帯で戦死して、死に真似したら、パンツまで濡れ濡れになっちゃいました。
それにしても、完全武装で1日ノンストップで遊ぶとすると、疲れますね。
1日経っても筋肉痛です。
次回は平成19年4月22日開催予定との事、今から楽しみです。
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2006年08月27日
ベトナム戦争イベント「ペガサス作戦」
※この記事は2012年9月21日にサルベージした記事です。※
またサルベージでリサイクルな日記です。
2006年8月26日~27日に千葉県佐原のエリア51で行われたナム戦イベント「ペガサス作戦」の日記です。
当時はこの様にアホカリやベトベトしま戦か?以外にも割と人数が集まるベトナム戦争イベントが行われていました。
以下、大体当時の日記の原文とレスポンスで書いた文章を繋げてみました。
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っつー事で、2006年8月26日~27日に千葉県佐原のエリア51で行われたベトナム戦争ヒストリカルゲームイベント「ペガサス作戦」に参加してきました~。
ちなみに「平成18年3月27日、佐原市、小見川町、山田町、栗源町の1市3町が合併して、香取市が誕生しました。」との事で、いつも「佐原」と呼称していますが、ここは行政区分では「香取市」らしいです。
何か、想像していたより遙かにビッグイベントでしたね。
出店店舗あり、サムズミリタリ屋以外にもマッサージだとか散髪とかの店とか、何件かショップが入ってたし、放送ステージとかもあってにぎわっていました。
サムズの大安売りでは、北ベトナムの手榴弾(枝が木製の良いやつ)がたったの500円と凄いお祭り価格でした。(その他もすげー激安)
米軍側参加者の集合写真
共産側参加者の集合写真
一緒の分隊の皆様と共に
ゲームに参加する人間だけで、100人以上居て、それだけでも大にぎわいなのに、ゲームしない人やら、出店の人やら、雑誌社かなにかの人やら、何処かで見た御大やら、三島軍曹(とても気さくな方で見ず知らずの私にも話しかけて頂きました。)もお見えになられてました。(何人居たんだろう?)
アホカリの規模を、場所のキャパシティーの都合でギュっと圧縮した感じかな。
会場着いて、テント組んで、そこそこ荷物運んだら、ちょっと一時中座して、バカラチオン作戦の会場予約の為、皆でクラフトアップルさんに行きました。
途中、バカラチオンのピックアップ予定地「高速赤坂台」&「赤坂台」を視察しましたが、なんか置いてあった椅子が妙にエロかったです。(謎)
佐倉駅までは、以外と遠いので、イベント運営上、ここをピックアップに加えるか、否か検討が必要と思われますね。
クラフトアップルさんでは様々な疑問など質問しつつ歓談しましたが、兎角、エアーガンやサバゲー関連の知識に疎い私としては、この分野における「専門家」の助言は大変ありがたかったです。
大いに参考にしますよ。
店内には、自社、他社問わず、様々なトイガンが置いてありました。
旧日本軍やってないけど(昔はちょろっとやってた)、八九式重擲弾筒かっこいいですね。
参加者全員で塹壕拡張作業
折角なので穴掘りリエナクメントです。
中央部の建物
実は立て籠もっても跳弾で酷い事になるだけで、サバゲー的には無意味ですが、リエナクメント的には有用です。
再びエリア51に戻ると、皆さん、塹壕掘ったり、土嚢積んだりと「安本要塞」の強化に勤しんでいたので、我々も大急ぎで軍服に着替えてアナホリプスと洒落込みました。
米軍も共産軍も分け隔て無く要塞構築。
こうした共同作業が一体感を生んで心地よいですね。
ただ穴掘るだけじゃ何なので、途中で同志上尉とダッコン隊員の査閲を受けるプレイとかして遊んじゃいました。
塹壕掘りも終わって、手が空いた所で、本部脇にバカラチオン作戦の高札を立てました。
意外とベトナム戦争をやりつつ第二次世界大戦もやっている人も多いらしく、そこそこ話題になりました。
相変わらずベトナムの夜は、下品で猥りがわしいですね。
皆々、乱痴気騒ぎです。
このあたりはアホカリプス(ベトナム戦争版)を世襲していると言えるでしょう。
何軒か出てたお店でフォーを食べました。
その他、何故かメイドさんのマッサージ店だとか、様々なお店があって面白かったです。
セーフティーゾーンや駐車場を利用したキャンプ場はそれほど広く無いので、色々人様のテントを襲撃したりして歓談してましたが、●○●とか■□■とかいう単語がやたらと多い話で盛り上がりました。(謎)
と、不意に本部から呼び出しが掛かり、何かいな~とおもいきや、唐突に場内放送への出演要請が・・・。
で、バカラチオン作戦のプロパガンダ放送を行う事になりました。
そんなこんなで12時頃に就寝、電池でぐるぐる廻る防虫器具のお陰か、元々少なかったか、蚊による被害はほぼ無くなかなか寝やすい夜でした。
2日目のメインゲームは、休憩を挟んだとはいえ4時間超にも及ぶ激闘で、もの凄く充実しもの凄く疲れました。
今回、オーストラリア軍の募集がなかったので私は初めて北ベトナム軍で参加しました。
共産軍デビューであるにも関わらず何故か第一分隊長でした。
我々第一分隊の任務は、橋頭堡を確保したり陽動であったり搦手であったりと、ともすれば地味な物が多かったのですが、戦術的には共産軍の勝利に貢献出来たと思います。
それにしても、全長70メートル超の塹壕を擁する「安本要塞」は、前日の拡張もあって面白すぎです。
一日遊んだだけで泥だらけにになり、装備が大分時代漬けさました。
「時代漬け」だけならまだしもなのですが、水筒ポーチのループと紐がブチ切れてたり(元々デリケートな上に、半分腐ってた。)、AK47のバットプレートがどっか行っちゃったりと、色々と破損したりもしました。
あと、中国軍の水筒はキャップ閉めても水漏れしてて、大して飲まないのに、本当に飲みたい時は殆ど空だったり。(中華クオリティー)
休憩中に、フィールド内をジープが疾駆していました。
凄い、あんな狭い道を車両が通れるのかって感じです。
最終戦の時間ギリギリに全軍で突撃しましたが、狭い道だったのか、余り上手くいきませんでした。
いや~、凄く疲れましたが、凄く楽しかったです。
次回も是非参加させて頂きますです。
という事で、次のナム心燃焼は「ベトベトしま戦か?」ですね。
各位、ご一緒できましたら宜しくお願い致します。
追伸:どうでもいいですが、おまいら北ベトナム兵なんだから、「ヤボール」とか返事するなYO!
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以上。
以下は某所にこの日記を上げた際に書いた割と良いレスの抜粋。
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此度は、共産軍「専門家」諸氏が多く居られて、何かと向上させて頂きました。
「専門家」を交えての懇談では、銃の持ち方とか、AK47の叉銃、襟章はあえて付けて襟に跡を残すのがベストとか、麻紐の活用方法など、北ベトナム軍の有職故実に疎く、暗中模索な私共としては大いに助かりました。
いろいろといじられてる内に向上して行きたいと考えています。
私共は、そういう所は前向きで、何をいじられても憤慨したりしないので、そのスジの人はどしどしいじって下さい。(切望)
切磋琢磨です。
もう、どんどん吸収させて頂きますですよ。
それにしても、北ベトナム装備は、米軍やオーストラリア軍に比べると、圧倒的に軽装で良いのですが、脆いのが難点ですね。
ちょっと水筒カバーとか紐とかぶち切れました。
なんで力の入る部分が平織りデスカ?
では、また何かご一緒致しましたら宜しくおねげーします。
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またサルベージでリサイクルな日記です。
2006年8月26日~27日に千葉県佐原のエリア51で行われたナム戦イベント「ペガサス作戦」の日記です。
当時はこの様にアホカリやベトベトしま戦か?以外にも割と人数が集まるベトナム戦争イベントが行われていました。
以下、大体当時の日記の原文とレスポンスで書いた文章を繋げてみました。
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っつー事で、2006年8月26日~27日に千葉県佐原のエリア51で行われたベトナム戦争ヒストリカルゲームイベント「ペガサス作戦」に参加してきました~。
ちなみに「平成18年3月27日、佐原市、小見川町、山田町、栗源町の1市3町が合併して、香取市が誕生しました。」との事で、いつも「佐原」と呼称していますが、ここは行政区分では「香取市」らしいです。
何か、想像していたより遙かにビッグイベントでしたね。
出店店舗あり、サムズミリタリ屋以外にもマッサージだとか散髪とかの店とか、何件かショップが入ってたし、放送ステージとかもあってにぎわっていました。
サムズの大安売りでは、北ベトナムの手榴弾(枝が木製の良いやつ)がたったの500円と凄いお祭り価格でした。(その他もすげー激安)
米軍側参加者の集合写真
共産側参加者の集合写真
一緒の分隊の皆様と共に
ゲームに参加する人間だけで、100人以上居て、それだけでも大にぎわいなのに、ゲームしない人やら、出店の人やら、雑誌社かなにかの人やら、何処かで見た御大やら、三島軍曹(とても気さくな方で見ず知らずの私にも話しかけて頂きました。)もお見えになられてました。(何人居たんだろう?)
アホカリの規模を、場所のキャパシティーの都合でギュっと圧縮した感じかな。
会場着いて、テント組んで、そこそこ荷物運んだら、ちょっと一時中座して、バカラチオン作戦の会場予約の為、皆でクラフトアップルさんに行きました。
途中、バカラチオンのピックアップ予定地「高速赤坂台」&「赤坂台」を視察しましたが、なんか置いてあった椅子が妙にエロかったです。(謎)
佐倉駅までは、以外と遠いので、イベント運営上、ここをピックアップに加えるか、否か検討が必要と思われますね。
クラフトアップルさんでは様々な疑問など質問しつつ歓談しましたが、兎角、エアーガンやサバゲー関連の知識に疎い私としては、この分野における「専門家」の助言は大変ありがたかったです。
大いに参考にしますよ。
店内には、自社、他社問わず、様々なトイガンが置いてありました。
旧日本軍やってないけど(昔はちょろっとやってた)、八九式重擲弾筒かっこいいですね。
参加者全員で塹壕拡張作業
折角なので穴掘りリエナクメントです。
中央部の建物
実は立て籠もっても跳弾で酷い事になるだけで、サバゲー的には無意味ですが、リエナクメント的には有用です。
再びエリア51に戻ると、皆さん、塹壕掘ったり、土嚢積んだりと「安本要塞」の強化に勤しんでいたので、我々も大急ぎで軍服に着替えてアナホリプスと洒落込みました。
米軍も共産軍も分け隔て無く要塞構築。
こうした共同作業が一体感を生んで心地よいですね。
ただ穴掘るだけじゃ何なので、途中で同志上尉とダッコン隊員の査閲を受けるプレイとかして遊んじゃいました。
塹壕掘りも終わって、手が空いた所で、本部脇にバカラチオン作戦の高札を立てました。
意外とベトナム戦争をやりつつ第二次世界大戦もやっている人も多いらしく、そこそこ話題になりました。
相変わらずベトナムの夜は、下品で猥りがわしいですね。
皆々、乱痴気騒ぎです。
このあたりはアホカリプス(ベトナム戦争版)を世襲していると言えるでしょう。
何軒か出てたお店でフォーを食べました。
その他、何故かメイドさんのマッサージ店だとか、様々なお店があって面白かったです。
セーフティーゾーンや駐車場を利用したキャンプ場はそれほど広く無いので、色々人様のテントを襲撃したりして歓談してましたが、●○●とか■□■とかいう単語がやたらと多い話で盛り上がりました。(謎)
と、不意に本部から呼び出しが掛かり、何かいな~とおもいきや、唐突に場内放送への出演要請が・・・。
で、バカラチオン作戦のプロパガンダ放送を行う事になりました。
そんなこんなで12時頃に就寝、電池でぐるぐる廻る防虫器具のお陰か、元々少なかったか、蚊による被害はほぼ無くなかなか寝やすい夜でした。
2日目のメインゲームは、休憩を挟んだとはいえ4時間超にも及ぶ激闘で、もの凄く充実しもの凄く疲れました。
今回、オーストラリア軍の募集がなかったので私は初めて北ベトナム軍で参加しました。
共産軍デビューであるにも関わらず何故か第一分隊長でした。
我々第一分隊の任務は、橋頭堡を確保したり陽動であったり搦手であったりと、ともすれば地味な物が多かったのですが、戦術的には共産軍の勝利に貢献出来たと思います。
それにしても、全長70メートル超の塹壕を擁する「安本要塞」は、前日の拡張もあって面白すぎです。
一日遊んだだけで泥だらけにになり、装備が大分時代漬けさました。
「時代漬け」だけならまだしもなのですが、水筒ポーチのループと紐がブチ切れてたり(元々デリケートな上に、半分腐ってた。)、AK47のバットプレートがどっか行っちゃったりと、色々と破損したりもしました。
あと、中国軍の水筒はキャップ閉めても水漏れしてて、大して飲まないのに、本当に飲みたい時は殆ど空だったり。(中華クオリティー)
休憩中に、フィールド内をジープが疾駆していました。
凄い、あんな狭い道を車両が通れるのかって感じです。
最終戦の時間ギリギリに全軍で突撃しましたが、狭い道だったのか、余り上手くいきませんでした。
いや~、凄く疲れましたが、凄く楽しかったです。
次回も是非参加させて頂きますです。
という事で、次のナム心燃焼は「ベトベトしま戦か?」ですね。
各位、ご一緒できましたら宜しくお願い致します。
追伸:どうでもいいですが、おまいら北ベトナム兵なんだから、「ヤボール」とか返事するなYO!
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以上。
以下は某所にこの日記を上げた際に書いた割と良いレスの抜粋。
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此度は、共産軍「専門家」諸氏が多く居られて、何かと向上させて頂きました。
「専門家」を交えての懇談では、銃の持ち方とか、AK47の叉銃、襟章はあえて付けて襟に跡を残すのがベストとか、麻紐の活用方法など、北ベトナム軍の有職故実に疎く、暗中模索な私共としては大いに助かりました。
いろいろといじられてる内に向上して行きたいと考えています。
私共は、そういう所は前向きで、何をいじられても憤慨したりしないので、そのスジの人はどしどしいじって下さい。(切望)
切磋琢磨です。
もう、どんどん吸収させて頂きますですよ。
それにしても、北ベトナム装備は、米軍やオーストラリア軍に比べると、圧倒的に軽装で良いのですが、脆いのが難点ですね。
ちょっと水筒カバーとか紐とかぶち切れました。
なんで力の入る部分が平織りデスカ?
では、また何かご一緒致しましたら宜しくおねげーします。
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